読書日記のページ

2001年5月

2001年5月6日

 連休中も勉学にはげむまじめな私……。というか、連休明けにゼミの発表とレポート一本抱えているのでやらにゃしょうがない。
 といいつつ合間に読んでいたのが、小林一博『出版大崩壊 いま起きていること、次にくるもの』(イースト・プレス, 2001)。タイトルだけみると、過激な便乗本みたいに見えるけど、佐野眞一の『誰が「本」を殺すのか』みたいにジャーナリスティックではないし、小田光雄『出版社と書店はいかにして消えていくか』ほど激烈(?)でもない、バランスのとれた感じが好印象。出版業界危機説について何か一冊、ということであれば、まずこれを読んでから、というのがいいかもしれない。
 内容的にも、バランス良く出版業界を巡る様々な(危機的な)状況を紹介しつつ、ごま書房の旗揚げから破綻までの経緯を、関係者の証言などから辿っていくなど、具体的な記述もあって興味深い。
 特徴は、解決策を積極的な提案していく姿勢が強いところか。しかも、根本的な改革の必要性を訴えつつも、比較的受け入れやすいところから始めようという現実的な視点から語られているのが印象的。逆にいうと、ここに書かれている提言すら実現できないようであれば、出版界はハード・ランディングを迫られることになるのでは、という気がしてくる。
 出版界で活躍してきた人にしては珍しく(なのかな?)、図書館についても目配りが効いている点も特徴か。出版文化全体を見ていこうとしているところからも、著者のバランス感覚の良さが伺える感じ。
 著者の危機感の強さはそこここに現れているのだけれど、何とか建設的な提言に持っていこうという姿勢が強いせいか、案外、読んでいて暗さは感じない。こういう本が出てくる、というところは、まだまだ出版界も捨てたもんじゃない、ということなのかも。

2001年5月3日

 うーん、案の定、あんまり更新できなくなっている……。本、というか文章は読んでいるのだけど、趣味で、というよりは勉強のためにこま切れで読んでいたりするので、あんまりここに書くことがなかったりする。

 とりあえず、5年ぶりの十二国記の新刊、小野不由美『黄昏の岸 暁の天』(講談社文庫, 2001)が出たのはめでたい。これでやっと話が『魔性の子』(新潮文庫, 1991)と繋がった。と、書いて気が付いたけど、今年で『魔性の子』が出てから10年だったのか。シリーズ再開にぴったりといえばぴったり。なるほどなあ。
 それにつけても、同じ内容でイラスト付けて、後から(一月遅れで)X文庫ホワイトハート版を出すってのは卑怯なり講談社。といいつつ、両方買ってしまいそうな自分が悲しい……。

 それから、先日、渋谷区立松濤美術館に「今純三・和次郎とエッチング作家協会」(2001年4月3日〜5月13日)を見に行ってきた。今和次郎は言わずと知れた考現学の人だけれど、「純三」って誰? と思っていたら、和次郎の弟なんだそうな。銅版画の技法の一つ、エッチングの第一人者だったらしいけど、ある意味で、兄の影響で道を誤った、という言われ方もされてしまうらしい。確かに、最初の頃は、いかにも版画らしい作品なんだけど、ある時期から、細密画的な描き方になっていて、同時に展示されていた他の「エッチング作家協会」の作家たちと比較すると、ちょっと主流とは違ったのかな、という感じ。
 でも、機関車工場とか、造船所とかを描いた作品は、細密画的だからこそ、かっこいい。もうちょっと後なら、メカ・イラストレーションとか描いていてもおかしくないかも、とか書いたら、怒られてしまうかなあ。
 もちろん、今和次郎関係の展示では、考現学関係の自筆資料が並んでいてこれまた愉快。エッチング作家協会関係者の展示では、武井武雄、河野通勢といった挿絵系の作家の作品が(ちょろっとだけど)あったのが個人的には収穫。図録も、年表を中心にした資料篇なども含めて充実している。
 何よりすいていてゆっくり見られるのがいいよなあ。喫茶は展示室の中にあって、豪華なギャラリー気分も味わえるのがまたよい。松濤美術館はいいところである。うん。


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