読書日記のページ

2001年2月

2001年2月25日

 とりあえず、宿題を一つ片づけよう。
 『季刊・本とコンピュータ』2001年冬号(大日本印刷, 2001)は、第一期(最初は4年で終わりの予定だったけど、さらに4年、第二期が予定されている模様)ラスト前、ということもあって、これまでのまとめ……られないけど、それでも総まとめ、という感じ。
 様々なテーマ(出版、オンライン書店、電子図書館、印刷、編集……)について、『本コ』でお馴染のメンバーや、そうでない人たちも含めての対論という形で切り口を切り開いていく、という趣向。だらだらと目次を紹介してもしょうがないので、詳細は省くが、現在が、いかに様々な可能性が混じり合いつつ、かつ、問題が噴出しつつある状態でもあるのか、ということがよく分かる。
 あと、松田哲夫「印刷に恋して」が、第10回を迎えてついに最終回。現代の印刷技術の変遷を現場を辿りながら分かりやすく(かつ愛情を込めて)解説してくれた著者に感謝。オンデマンドでもなんでもいいから(とかいっちゃいけないのかもしれないが)単行本化してほしい。絶対買うから。
 とかなんといいつつ、この号の最大の目玉は、湯浅俊彦・永江朗作成「「本とコンピュータ」関連年表1986〜2000」ではないか、と個人的に思っている。この10数年間の変化の大きさをしみじみと感じとれる労作(1986からといいつつ、何故か1962年のマクルーハン『グーテンベルクの銀河系』から始まっていたりするところがまた良い)。所々入るコメントがまた味わい深い。10年前にはMosaicすらなかったのだ、という事実に呆然としてしまう。

2001年2月19日

 以前ちょろっと書いた黒田かすみのハーレクイン・コミックスを3冊入手。近所の本屋にあるとは。灯台もと暗し。
 しかし、なんというか、ハーレクインだなあ。仕事とはいえ、描くの大変だったのでは。それでも、ところどころ(特に嫉妬に燃える男の表情とかね)に、黒田かすみらしい感じは出てるけど。
 それより、既刊本のリストの中に森川久美の名前を発見したことの方が衝撃かも。ううむ、森川久美の描くハーレクインか……いったいどうなっちゃうんだ? よ、読みたい……。

 本当は『本コ』の2001年冬号とか、佐野眞一『誰が「本」を殺すのか』(プレジデント社, 2001)とかも読んでいるんだけど、気力が湧かないので次の機会に。書き始めると長くなりそうだしなあ。
 というわけで、最近時々読んでるビジネス書を一冊。マーカス・バッキンガム&カート・コフマン著,宮本喜一訳『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』(日本経済新聞社, 2000)である。
 話は非常に明快で、チームの力を最大に発揮させたかったら、最適の人材を最適のポジションに置き、その人材にとって最も適した方法で能力を発揮させろ、ということに尽きる。が、その結論を補強するために、一流のマネジャーたちにインタビューした内容や、その内容を統計的に分析した結果などを用いたりするところが、いかにもコンサルティング会社の人が書いたビジネス書って感じ。
 こう書くと単純な話に見えるが、個々の人間にはそれぞれ持っている才能(外界に対する対処のパターン、くらいの意味)の違いがあって、その才能の違いを無視して同じやり方を押しつけたり、それが普通の出世コースだからと才能に合わない仕事をやらせるのは、組織全体にとっては損失なのだ、という主張は、実はジェネラリスト指向の強い日本の組織に対する強烈な批判ともなっている(だからこそ、翻訳したんだろうなあ)。
 ここで提唱されているのは、制度的には、複線的なキャリアパス(優れたスペシャリストは、平均的なジェネラリストよりも、高い給与を得るが、仕事はあくまでその人の専門技能を生かせるもののまま)を導入することだったり、個々のマネジャー(「課長」とはちょっとイメージが違う感じだなあ)が、部下たちの「才能」を見出すための基本的な方法論だったりする(インタビューのための基本的な質問とか)。
 これをそのまま日本の組織で実施するのは難しい(個人主義的イメージの強いアメリカですら、その逆が「ルール」になっている、と書かれているのだから)だろうけど、過程よりも成果で仕事を評価することとか、マニュアルを作ってそのとおりにやればできることと、そうでないことの線引きをすることとか、まあその方が合理的だよなあ、と思えることも多数あり。少なくとも、スタッフとラインのキャリアパスのあり方を考える時に、参考にしてよい一冊ではある。読みやすいし……っていうか、読みにくいビジネス書があったらやだなあ。
 それにしても、こういうビジネス書を面白いと思うようになってしまうとは、年をとったものである。しみじみ。

2001年2月13日

 久しぶりの更新。
 実は更新を休んでいる間に、某大学の大学院の社会人枠みたいなものを受験していた。筆記試験はなんとかくぐり抜けたものの、面接試験で叩かれて(といっても、今考えると、かなり手加減してくれていたような気がする。試験の間はそんなことを感じる余裕は全然なかったけど)ぐったり。自分より明らかにできる、って人に叩かれる経験をここのところしていなかったこともあってか、自分でも驚くほど落ち込んでいる。普段、それだけぬるい環境に安住してしまっている、ということなんだろうなあ。
 合否はまだ不明だけど、明らかに自分の考えていることを研究プログラムとして提示することに失敗した、というか、逆に研究プログラムとしては成立しえないということを示してしまったので(ううう、自分のバカさ加減が身に染みる)、いくらなんでも通してもらえないだろう。自分でも、こりゃ研究プログラムの体をなしていない、と終わった次の瞬間思ったくらいなんだから(自分で喋っている間は気付かなかった模様)、できる教官ならその場でわかって当たり前。やっぱり、通さないよなあ。
 ああ、ますます落ち込む……。

 というわけで、こんなバカな私にぴったりなのが、小谷野敦『バカのための読書術』(筑摩書房ちくま新書, 2001)。ある程度本は読めるけど、現代思想系の書き手の文章とか難しくてさっぱりわからん、とか、ちょっと難しめの専門書を読もうとすると文字は追えるが中身が全然頭に入らない、といったような、まさに私のようなバカを対象にしたブックガイドである。
 インテリぶって小難しい本をいきなり読む必要はない。歴史について知りたければ、司馬遼太郎から入ればいい。心理学っていったって、ラカンやらなんやらを読む必要はない。ブックガイドは信用するな。新書だからと行って良い入門書とは限らない……。
 といったような話が中心なので、何を読むべきか、というよりは、バカは何を読んではいけないか、という指針を示してくれている、という側面の方が強い(実際、「読んではいけない本」ブックガイドもついているし)。ついつい、インテリぶって、『現代思想』とか買ってしまって、なかなか読めなずに苦しんでいる身には耳に痛いことばかりである。
 逆にいうと、うおー、この本読んでみたいぞーっ!、という感じになるようなブックガイドではない。むしろ、教養を身に付けるための戦略的な読書方法を教示する本、という感じか。基礎教養が失われつつあることに対する危機感がひしひしと伝わってくるけれど、何で教養があった方がいいのか、という部分をもっと読みたかった気もする。とはいっても、著者からは趣旨が違うといわれそうだけど。それはまた別の本で書かれることになるのかもしれないなあ。


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