私の居場所はどこにあるの?
 少女マンガが映す心のかたち

著者
藤本由香里
出版者
学陽書房
発行日
1998.3.25
メモ記入日
1998.4.9
〈メモ〉
 少女マンガ絡みでは注目の論客、藤本由香里の初の単行本。
 少女マンガの変遷を、<恋愛><性><家族><仕事>……などのテーマ別に追っていくことで、ここ30年の女性の価値観の変化を探る
というテーマに沿って書き進められたものを一冊にまとめた、ということで、章立てもそういう形になっている。
 最初の部分は、ここで読むことができるので、とりあえず、どんな感じか知りたい人はどうぞ(著者のコメントが付け加えられている分、本よりちょっとお得かも)。ただ、全体としては、無理に対象から距離を置こうとしすぎている感じがしてしまう。何だかインパクトが薄くなってしまっているんじゃなかろうか。私はもっと情念のこもった文章が読みたかったなあ。
 問題の中心を「女性の価値観の変化を探る」とした段階で、既に少女マンガという対象から距離を置こうとしていることは明らかなのだけれど、その問題意識と少女マンガへの思いが今一つ噛み合っていない感じ、なのだな。
 それでも、恋愛を中心に論じた最初の3節(「恋愛という罠」(別タイトルだけどここで読める)「ことほどかように」「オトナになった少女マンガ」)は、議論の展開は強引だけど、問題意識が身に染み付いている感じがして、面白かった。もちろん、少女マンガが恋愛以外を描く様々な可能性を持っている、ということ自体を否定するつもりはまったくないのだけれど……。
 問題はフェミニズム的な視点をどう議論の中に導入するのか、というところにあるような気もする。少女マンガを語るときに、フェミニズムが議論に社会的な広がりを持たせるための有力な武器になることは確かなのだけれど、ただフェミニズム的視点から作品の主題を分析するだけではダメなんだよなあ。作品論あるいは作家論としてはそれで結構いけるのだけれど、社会論に広げようとしてしまうと、作品と社会とを結ぶミッシング・リンクをどう設定するのかがとたんに問題になってしまう。これこれこういう作品が存在すること自体が社会の変化を象徴しているのだ、といえばいえなくもないけど、少年マンガと比較して圧倒的に社会的プレゼンスが希薄だからなあ。そういうところを棚上げして、こういう作品があることから社会的変化を読み取れる、と前提してしまうところにそもそも無理があるような気がする(……って、これ、自分がどっかに書いた文章にそのまま返ってきそう)。むしろ、槙村さとるについて行ったように、個々の作家の挑戦の有り様として描き出して行く方が(古典的かもしれないけど)正解では。
 と、いうわけで、後半に行くほど点が辛くなるのだった。最後はエヴァンゲリオンだし。なんでエヴァに話が行っちゃうかなあ。流行りだからしかたないんだけどさ。
 などといろいろ文句を書きつつも、刺激を受けた部分も多々あり。レズビアンを扱った作品の増加とか、なるほど、そういえば、という感じ。少女マンガ読み必読の本であることは間違いない。
 願わくは、続けて、あっちこっちに書いた時評的な文章を一冊にまとめてくれると、すっごい嬉しいんだけど。この本では、テーマ設定が先に立っていて、少女マンガの今を語る、という視点が比較的薄いので。


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