小野不由美
講談社 1997.6.5
講談社X文庫 white heart
(メモ)
『過ぎる十七の春』と同様、旧作の改訂版。巻末の著者紹介のとこには、「大幅加筆したもの」とあるのに、あとがきには、「加筆といってもほんのちょっとで、ほとんど訂正しただけです」とあるのがおかしい。
それにしても、泣ける。
ホラーではあるのだが、圧倒的にラストシーンの印象が強い。取り返しのつかないことは取り返しのつかないこと、いくら悔やんでもどうしようもないこと、その苦みを、痛みをこらえるように受け入れる少年たち。その凛とした姿勢は、十二国記にもつらなる、小野不由美作品の魅力の一つだろう。
怖さ、という点では、大幅に加筆されたという『過ぎる十七の春』や、『悪夢の棲む家』の方が圧倒的に怖いが、こうした小野不由美の魅力を確認する意味では、得難い一冊。作者が執着するのも、分かる。(1997.7.4)
早川書房 1997.8.1
(メモ)
ここのところ、特集二本立が定番化してきたなあ。
一つ目は「スター・ウォーズの過去と未来」。
野田大元帥のエッセイは相変わらずで良いが、スター・ウォーズそのものを論じているわけではないので、ちょっとはぐらかされたかな、という気も。むしろ、サミュエル・R・ディレイニー「このすばらしき新作SF映画についての考察」や、J・G・バラード「宇宙のホビット族」といったエッセイが、第一作が公開された当時の現地のSF作家の反応の記録という意味で興味深い。あとは、高貴準三「拡大しつづけるスター・ウォーズ・ユニバースの中間報告」が、特に最近翻訳が矢継ぎ早に進行しつつあるオリジナル小説シリーズの全体像を把握するのに便利。
しかし、この特集で最も価値があるのは、高橋良平・三村美衣編「『スター・ウォーズ』以後の国内スペース・オペラ年表」「同 作品・シリーズ総リスト」だろう。遅すぎた、という気がしなくもないが、今だから出来た、というところもあるか。ヤング・アダルト系SFガイドとしても使える部分あり。おすすめ作品の解説がついていたりするところが心憎い。
一方で特集として取り上げられた小説には、もろスペース・オペラ、という作品がないのがなるほど、という感じ。キース・ローマー「特撮星人の襲撃!」(酒井昭伸訳)は豪快なパロディ。「次のロケ地はどこだ!? 特撮星人の野望に挑む錠前セールスマンの大活躍!」というまったくその通りの話なのだが、「そういう話」にはならないところが上手い。さすが。田中啓文「脳光速 サイモン・ライト二世号、最後の航海」は、脳をぶっ潰す描写がいいが、途中でオチが見えるのが辛い。「射手座宙域の惑星に残された、古代遺跡の秘密とは……」というアオリのポール・アンダースン「千の太陽の王」(浅倉久志訳)は、結構、もろスペース・オペラ、という雰囲気のようでいて、皮肉なラストが何とも言えぬ味わい。ぐっとくる。
特集のもう一つは「スティーブン・バクスター来日記念特集」。インタビュー2本に著作目録、それから短編「グース・サマー」(小野田和子訳)。最後の短編は「最果ての星・冥王星で彼女たちが見たものは……」というジーリーシリーズ(ってまだ他の作品読んだことねーな、そういえば)の最新作(といっても1995年発表だけど)。ありうべき自然の驚異を想像力で創造する、とはお見事。読んでいて、美しい、と思わせてしまうところが凄い。(1997.7.28)
神林長平
早川書房 1997.7.15
ハヤカワ文庫JA
(メモ)
そんなにトリッキーな構造になっていないので、すんなり読める。ちょっと息抜きっぽいか。その分、物足りない気もするけど。
ニワトリにネコが食われる、という趣向が全て。あとは、ラジェンドラとか、カーリー・ドゥルガーのような人工の思考体と、人との距離の描き方とかが結構薄ら寒くて、いかにも神林長平って感じ。雪風から引きずってる主題ってのが、ここで生きているわけだ。なるほど。
それより何より、あとがきには驚いた! キャラクターの紹介やら作品のあらすじやらテーマの解説やら、藤川某大先生の霊が乗り移ったのかと思ってしまいましたがな。それとも、これも作者の情報操作の一つなんだろーか。うーん。よく分からん。(1997.7.28)
森岡浩之
朝日ソノラマ 1997.6.30
ソノラマ文庫
(メモ)
この人の上手さの一つに、会話のテンポの良さってのがあるのが明解に分かる。話自体は比較的捻りのない、分かりやすい話だけに、そのテンポの良さが余計に際だつのかも。一気に読まされてしまった。短いというのもあるけどね。
キャラクター配置が、結構、受け狙いだけど、この一作で使い潰すにしては仕掛けすぎという気も。でも、思わせ振りな部分が描かれそうで描かれないのがもったいない、と思う程度が適当なのかなあ。
オチが結構、古典的SFしているところが「SF夏の時代を担う」(帯)って感じなんだろうか。ストレートに直球勝負しつつ、ラストで微妙な哀感を織り込むのを忘れないところが嬉しい。(1997.7.28)
栗本薫
早川書房 1997.6.30
ハヤカワ文庫JA
(メモ)
イラストレーターもよりリアルタッチの末弥純に交代、ノスフェラスの王、なんていう懐かしいフレーズも登場して、全体的に初期グインへの回帰という方向性が濃厚。とりあえず、本編よりは私好みだなあ、と思いつつも、初期の感覚はやはり戻りきってはくれない。以前より描写が抽象的なのかなあ、という気がしなくもないけど、初期の話と具体的に比べてみないとなんともいえないなあ……って、比べる気力はあんまりない……。
最近の傾向である、長台詞で話を進める展開はあまり変わらず。芝居をやりはじめてからなのかなあ、この傾向。地の文での描写がその分弱くなっている、という感じがどうしてもつきまとってしまって、積極的に評価できない。せっかくおどろおどろしい題材なんだから、もっと気合いの入った描写を読みたいなあ。もともと、そういう書き方のできる人だったと思うんだけど。
グインが出てきたから、まあいいか、と思ってしまう自分が悲しいけれど、異郷への旅という展開はやはり嬉しくて次に期待……してしまう自分がまた悲しい。(1997.8.2)
今野緒雪
集英社 1997.8.10
COBALT SERIES
(メモ)
中華風ファンタジー(?)シリーズ第8段。ただし、ファンタジーといっても、剣と魔法ではなくて、架空の国の歴史もの。結構、設定とか考え抜かれている感じがするんだけど、それを露骨に出さないところが味わい深いよね。
今回の話は……あ、甘い。甘すぎる〜。と思いつつ、でも好き。という感じ。
いい若いもんが、こんなよく気が付いて惚れた男に尽くしちゃう娘なんぞ書いちゃいかんよなあ、と思いつつ、メロメロになる私であった。情けない……。主人公の青年のおぼっちゃん的な悩みぷりもなかなかグー。
そうした「少女小説」的な甘さの中にも、ちょいと程よい苦みを加えることを忘れないところが実にセンスがよいのだな。今回の話の場合は、絵のライバルでもあった友人との決別なのだけれど、そのあたりの成長物語的な部分がまた結構心にしみるのであった。
文章も相変わらずしっかりしているし、多分、コバルトという媒体にこだわらなくても書ける人なのだろうとは思うけど、しばらくはこの甘さを堪能していたいなあ。(1997.8.4)
栗本薫
早川書房 1997.8.15
ハヤカワ文庫JA
(メモ)
うむむ。相変わらずちゃっちゃっと読めるのはありがたい。
外伝のグインの側の話と、こっちのイシュトの話とが対応する関係になるように書こうとしている様子がうかがえて、一応、まだ工夫して書こうという意欲はあるのだな、と何となく安心してしまった。
これで唐突な感傷浸りシーンがなければなあ。どうしてこう、誰も彼をも繊細な少年の心の持ち主にしてしまうんだか……いや、そのもろさが好きなのはわかるんだけど。
今回から完全にイラストレーターが交代。ほの見える原点回帰指向を支えることができるか、というところ。(1997.8.19)
早川書房 1997.8.1
(メモ)
いやー、とにかくてれぽーと欄が愉快。典型的SF原理主義者の主張ここにありって感じ。SFは手法ではない、「認識レヴェルでのショックをもたらすか否か」が問題とされるのだ!というセンス・オブ・ワンダー論で始まって、『新世紀エヴァンゲリオン』で締める、というあまりもお約束な展開に笑いが止まらない。おいおい、エヴァのテレビ最終二話を見ていれば、エヴァを作っているスタッフにとって、SFは手段でしかなかったなんてのは自明だろうが。そうやってよそのジャンルに入り込んで、SFかどうかで作品に評価を下すような姿勢を高野史緒は批判していたはずなのだが、全然伝わっていない、というのがSFの現在を表してはいるなあ。それにしても、こんなの3ページも使って載せるか?
特集は2本立て。
一つ目は「新・恐竜王国」。
ロバート・シルヴァーバーグ「白亜紀の狩人」(佐田千織訳)は「狩るか狩られるか! 男はスリルだけを味わうために白亜紀にやってきたはずだった……。」という話に、いや、女は怖いっす、というのを絡めた展開って全然説明になってないような。結構、ダークな感じがよいなあ。
「古代ローマに突如現れた恐竜たち。彼らの巻き起こす騒動の顛末を綴る。」というのは、ロバート・シェクリイ「恐竜に関する調査報告集」(浅倉久志訳)。どんどん脱線していって、何が何だか分からなくなっていく展開が本当に訳が分からなくて変。
デイヴィッド・ジェロルド「レックス」(金子浩訳)は「体長60センチのミニチュア・Tレックスが囲いを飛び越えたら……。」と、いうわけで、ペット化された恐竜を使ったアメリカ的病んだ家庭もの。沖一のイラストとの違和感が凄い。
特集その2は「イギリスSF注目の5人」。最近翻訳の出た作品を中心にした読書ガイドがメインで、短編は一本だけ。
イアン・マクドナルド「キャサリン・ホイール(われらがタルシスの貴婦人)」(古沢嘉通訳)は、「かつて火星には、すべての機会に宿る聖人がいた――『火星夜想曲』のプレリュード」とあるとおり、もうすぐ出版予定の『火星夜想曲』の前日譚とのこと。聖なるものに対する感覚の描写が実にいい。結構、日本的な意味での神様に近いセンスかもね。
日本人作家の短編は2本。ひとつは菅浩江「嘘つきな人魚(博物館惑星VI)」。年1本ペースのシリーズだったのか、これって。「少年は謝りたいだけだった。アフロディーテの海に眠る、その人魚に……」ってのは嘘ではないが、むしろ芸術のありようを巡る主人公の逡巡とかの方が面白い。最後にちゃんと盛り上げるサービス精神は立派。オチも綺麗。
もう一本は、高野史緒「未来ニ愛ノ楽園」。「深く秘めやかにさざめく樹海の奥、ただ愛だけによって創られた楽園がある」というアオリだけ読むとえらくロマッチックな話に見えるが、結構、えぐい話のような気がする。肉体の成熟を否定しようとする女の子の描写が結構ぐっとくるけど、最後に出てくる詩は頭に置いた方が親切のような気がするなあ。
その他、波津博明「ブラジルSFと軍政問題」が、南米の政治状況のリアルなレポートにもなっていて、勉強になってしまった。
他にあんまりぴんとこなかったけど、マイクル・クライトンの講演、エンキ・ビラルのインタビューなどがあり。(1997.8.24)
デイヴィッド・ファインタック著
野田昌宏訳
早川書房 1997.7.31
銀河の荒鷲シーフォート
ハヤカワ文庫SF
(メモ)
いやー、一気に読まされてしまった。
いきなり艦長にされてしまう1巻に比べれば、展開的には地味といえば地味なのだが、極限状況という意味でははるかにとんでもない。馬鹿で無能な提督の命令で、エンジンも壊れ、食料の自給体制も破綻した宇宙船で恒星間を漂流とはね。キャプテン・フューチャーならいざ知らず、普通は死ぬぞ、これ。助かっちゃうのはどう考えても分かっているのだけれど(そうでなければシリーズが終わってしまう!)、それでも追い詰められた気分は堪能できる。
そういう、何をしたって確実に死ぬ、という状況下で秩序を維持しようとする絶望的な努力を、個人的な罪の意識と絡めて描く辺りがメインテーマか。キリスト教の伝統を感じてしまう。もう一つのポイントは、1巻でしつこく臭わされていた父親との関係が、ここで一つの区切りを迎えるところ。一歩間違えると宗教馬鹿の駄目親父になるところを、ぎりぎりのところで格好良く描くあたりが凄い。
それにしても、この作者、不意を突くのが上手い。こっちが安心しているところを見計らって、いきなりガツンと強烈な展開をかましてくるのにはまいった。これがまた泣けるんだよ、うん。
頬に傷も付いて、より船長らしくなった(?)主人公の次の活躍は! てな感じで次につなぐ引きも忘れない。これでは次も読まないわけにはいかんな。(1997.8.30)
早川書房 1997.10.1
(メモ)
特集は「宇宙開発の光と影」。中村融監修。
軸になるのは、小説ではなくて、スティーブン・バクスター「錆びついた発射整備塔と芝生の飾りもの――宇宙時代とサイエンス・フィクション」(中村融訳)というエッセイだったりする。宇宙開発もののSFの歴史を作品を紹介しながら概説していくエッセイなのだが、「キャンベル主義」という言葉で表現されているような、楽観的な(安易な?)技術信奉に対する冷めた視線が実にいい。ロケット打上を神格化しないSF論というのは、結構新鮮だったりする。
小説の一番手は、エリック・チョイ「情熱」(中村融訳)。「二一世紀初頭、ついに人類初の有人火星探査隊が派遣されたが……」という話だが、ヴァイキングを道具立てに使うのはいいけど、ちょっと話としては陳腐かな、という感じ。宣伝のためのビデオ撮影にいそしむあたりのディテールは結構、好きなんだけどね。
スティーブン・バクスター「ゼムリャー」(中村融訳)は、なるほど、ああいうエッセイを書く人だな、という作品。「ふたたび宇宙へと飛び立ったガガーリン。目的地は金星……」、とくれば大体話は見えてくるはず。SF的アイデアも当然投入されているのだけれど、余計なものという感じもちょっとしてしまうのがつらいところ。
ウィリアム・バートン「サターン時代」(中村融訳)は「サターン5型ロケットに懸けた想い――もうひとつのアメリカ宇宙開発史」という話。元ネタ、というか正史をちゃんと知らないと楽しめない嫌いあり。逆に詳しい人はニヤリとしまくるんだろうなあ。
「宇宙の闇と地球の闇――3人の宇宙飛行士を隔てるものとは?」というあおりのバリー・N・マルツバーグ「三面鏡」(増田まもる訳)は、今回の私の一押し。3人の関係性の描写から、微妙ににじみ出る違和感が実にいい。
特集以外では、小林泰三「時計の中のレンズ」が登場。「巨大な円筒体と楕円体からなる世界――日本ホラー大賞受賞作家、本誌初登場!」ってなわけだが、情景描写がちゃんと異世界しているのはさすが。なんか、説明で終わっちゃってるようなとこもあるような気がするんだけど、少年の初恋の終わりネタも絡んでいたりするので許す。
そうそう。香山リカの夏エヴァに関する議論は完全にピントがずれている感じでおやおや。鹿野司の方が、普通の感覚で見ている、という感じがしてまだ分かる。ただ、「絶対の大きな苦しみ」という視点で、エヴァともののけを比較するのはどうかなあ。大きなテーマを扱っている作品がいい作品なの?と思わせてしまうところが、ちょいと残念。(1997.9.10)
イアン・マクドナルド著
古沢嘉通訳
早川書房 1997.8.31
ハヤカワ文庫SF
(メモ)
何と言ったらいいのだろう。とりあえず、これはデソレイション・ロードというある町の物語だ。
基本的に現代文学としてのSF、という感じの作品だと思う。と思って、描き込まれたイメージに幻惑されながら読んでいくと、突然エンターテイメントな展開にしてやられたりする。
いや、これは面白い。うん。
前半の大草原ならぬ大砂漠の小さな家といった風情の牧歌的物語から、後半の大戦乱まで、話の展開自体も飽きさせないが、何より合間合間に挿入される幻想的エピソードの数々に、思わず浸ってしまう。
特に最初に書かれたというデソレイション・ロード最初の雨の話にはぐっときた。60年代以前のポピュラーミュージックに対する愛情と、SF的設定が絡み合って、実に独特の世界が展開される。解説によればマジック・リアリズムからの影響も顕著とのこと。私はよく知らない(無知だなあ……)のでなんとも言えないけど。
著者後書きを読む限り、アフリカのある町がイメージの基底にあるらしいけど、どうしても(音楽ネタや大都市のイメージも含めて)アメリカ合衆国の西部開拓時代を思い浮かべながら読んでしまう。もしかして、私は火星はアメリカのものだというイメージ戦略に侵されているのだろーか。うーむ。それだけではないような気がするんだけど。(1997.9.27)