コードウェイナー・スミス著
伊藤典夫訳
早川書房 97.2.28
人類補完機構
ハヤカワ文庫SF
(メモ)
玉石混交という評判は正しいかもしれないけど、でもどれも何となく捨てがたいってのが偉い。さすが「SFの偉い人」。これだけあっちこっちに書評が載ると今さら何にも書く気が無くなってしまうけど、それでも一言。どうしてこんなに突っ撥ねながらも愛情に充ちた書き方が出来るのだろう。それがとても不思議。
神はいないかもしれないけど、神のような視点で物語を語ることが出来る人は存在したのだ。うん。
それから、フレデリック・ポールの序文の中の一節が鋭いSF論になっていて面白い。
「SFは全て特別である。誰もが気に入るSFというものはない。……わたしがSFにひかれる理由の一つはそれ、−−いろいろちぐはぐなものを柔軟な精神で取り込む技だ。この特質をとことん突き詰めると、これは手に汗にぎるタイトロープ上のダンスとなる。勇気と惨事がきわどいところでバランスをとり、作者の想像力と読者の寛容さが、無残な破局の一歩手前のところまで張りつめる。あと1ミリでも度を過ごせば、すべてはこわれてしまう。人をあっといわせる新鮮なものが、たんなるばかげたものに変わってしまうのだ。」
多分、SFの分かりにくさとは、SFの面白さと一体のものなのだ。つまり、誰にでも分かってしまうSFは既にSFではないという……。これは商品を多く売ろうとする場合には不幸だけれど、高く売ろうとする場合には必ずしも不幸ではないかもしれない。うーん。(1997.4.21)
古典SF研究会出版局 97.5.3
(メモ)
日本古典SF研究会の会誌。やはり持つべきものは偉い知り合いだなあ。ただでもらってしまった。わーい。話を聞いていると、どうも復刊第1号的なものらしいけど、まあ、それはどうでもいいや。
全体的に、プロのライターの方が、気が抜けたというか、リラックスしたというか、という感じの原稿が多い気がする。まあ、同人誌だから、という側面もあるのかなあ。むむむ。
特集はジュール・ヴェルヌ。明治期を中心にヴェルヌ翻訳史関連の論考が並ぶ。ペンネームで書かれたものも含むと藤元さんの独壇場、という感じだが、川上音二郎が上演したヴェルヌ作品について紹介した、北原尚彦「オッペケペ・ヴェルヌ」には、ちょっと感動。なるほど、芝居ってルートもあったんだなあ。
最大のウリは、藤元直樹「ジュール・ヴェルヌ小説作品書誌」。それから、先行研究の批判的レヴューを行った、代々木瞭「ヴェルヌ邦訳史研究の検証」だろう。ただ、後者は、「柳田泉氏の論考」や「目録」など、業界ではそれで通用するのであろう通称が、説明なしに用いられているので、私のような素人にはちょいと辛かった。現物を当たらずに二次・三次文献を中心に研究を行うアカデミズムの主流にいる学者たちの業績を、批判的に分析する手際が痛快なだけに、ちょっともったいない気がする。何はともあれ、書誌学的分析の基本は現物を見ること、という基本に忠実な、藤元直樹氏、代々木瞭氏の今後の研究に期待したい。
……といっても、次は出るんだろうか……。(1997.5.11)
早川書房 97.6.1
(メモ)
特集二本立。
一本目は「作家の肖像 グレッグ・ベア」。インンタビューとか、特にファンではないので、どうでもいい(?)のだけど、収録された短編「近ヘスペラス点」(小野田和子訳)が泣かせるいい話。「難破した宇宙船で出会った少女と男。ふたりを待ちうける運命とは?」という話なんだけど、軸は、同じ運命を共有することになる、初老の男と思春期突入したての少女の交流、ってとこ。男の方が、放射線によるダメージを先に受けていて……というシチュエーションがますます泣ける。ある意味で、冷たい方程式ものの変形ともいえるな。つくづく私好み。
もう一本は「特集 ネコ、跳んじゃった!?」。作家の自分のネコ自慢はどうでもいいが、ジェフリー・D・コイストラ「パフ」(山岸真訳)は、ラストの父親の決意がいい味出してて好み。お話は「遺伝子操作によって誕生した天才子猫パフは……」というもの。
もう一つ、ブライアン・C・コード「ゴーストキャット」(田中一江訳)もほろりとさせるいい話。「猫型ロボット・ゴーストキャットが、老女のために大活躍!」って、この煽りはちょいと違うのでは。まあ、嘘ではないけど。脇役の60年代のしっぽを引きずった連中の描写がなかなか面白い。<恋の夏>ってのはSummer
of
Loveのことなんだろうなあ。訳注なくてみんなわかるのかな。そういえば、SFが、「世界を変える」という点で60年代末期のあの時代をいつまでも引きずっているのをなんか象徴しているような気も。
そうそう、SFクズ論争は高野史緒「「SF作家」の称号――SF王国を通過する旅の騎士たち」と、永瀬唯「なぜに「SF」は嫌われる?――SF「冬のマーケット」化不完全マニュアル」で、なんとなく見えちゃった感じ。森下一仁「私も「SFの夢」を語りたい」は、大人の再反論、ってところか。まあ先月がヒステリックだったのに比べると、今月載った人たちの方が、はるかに説得力あるなあ。とりあえず、エヴァンゲリオンがあるからSFは元気だ、などという馬鹿なことはかけらも語らないところは偉い。
香山リカのエッセイ「”文学の失墜”、あるいは『エヴァ』が与えるリアリティ」は、エヴァンゲリオンにおけるリアリティとは何かを考察する話……になるのかどうかは来月待ち。ちぇっ。(1997.5.12)
堀晃
アスキー 96.12.6
宇宙SF傑作選 2
ASPECT NOVELS
(メモ)
76年から85年にかけて書かれた、トリニティ・シリーズ(遺跡調査員シリーズ?)を一冊にまとめたもの。なんか、凄く懐かしい感じ。
ただ、意外にアイデアの部分に喜びを感じなくなっている自分に驚いた。ある意味で当然なのかもしれないけれど、あるアイデアによって描かれた情景、というか、気分みたいなものにより、面白さを見出した感じ。
特に、全編にたゆたう、何かを失った、あるいは失いつつある感じがいい。初出を見ると、本書では最後に置かれた主人公とトリニティの別れの話が最初に書かれているのが、何とも象徴的。2番目に書かれたトリニティとの出合いの話が、一方で婚約者であった女性との二度目の死別の話であるというのがまた徹底している。
さらに、亡び去った文明の遺跡たちの描写が、失われたものを象徴するかのようで、しみじみとさせる。その遺跡を、予定された孤独への予感を孕みつつ、主人公が進んでいくのだ。
そう、本当は、物語の中の時間軸に従うのではなく、発表順に並べるべきだったのだ。そうすれば、読後感はさらにしみじみとしたものになったろう。それが少し残念。(1997.5.14)
野尻抱介
富士見書房 95.3.25
富士見ファンタジア文庫
(メモ)
わははは。こりゃおもろいわ。
凄い傑作だとは言わないけれど、サービス精神も旺盛だし、読んでいる間、楽しい時間が過ごせるのは保証付き。
ただバランスが良すぎて物足りない気も。エキセントリックな人物たちの描写もまあ、そんなにかっ飛んでいるわけでもなし、主人公は感情移入するには、強すぎるし。個々のキャラクターの立ち方が弱いのが最大の弱点だろうなあ。感情の動きで引っ張る部分が少ないので損をしている気がする。
宇宙飛行士や、ロケット開発に対するロマンチシズムが心地よいけど、もしかすると、そうした溢れちゃった部分が、今の若い子には障壁になるのかもね。今年の春に買ったのに初版・初刷だもんなあ。(1997.5.14)
野尻抱介
富士見書房 96.12.25
富士見ファンタジア文庫
(メモ)
『ロケットガール』の続編……と、思ったらこりゃやられた。キャラクターと設定だけ使った別物だな、こりゃ。
前作のしょうもない(?)コメディ色を薄め、宇宙でのトラブルに立ち向かう人々のドラマ的色彩を濃くした結果、『軌道傭兵』みたいな話になった。ちゃんと事故は人為的に引き起こされているし(落下場所はご愛敬)。うん、こりゃいいわい。前作の強引にキャラクターを奇天烈に描く部分も影をひそめ、ぐっと抑えた描写になっているところもいい。この方がキャラクターの内面的な部分は引き立つよね。
なるほど、これなら皆が絶賛するのもわかるわ。もともとSFファンが逆らうことのできないロケット打ち上げ宇宙開発ものだし。まあ新キャラクターが水野亜美まんまなのは勘弁するとしよう。(1997.5.15)
東野司
学研 97.3.8
歴史群像新書
(メモ)
おお! この手のノベルズものの第一巻としては、絶賛してもいいデキではなかろーか。結構、手に汗握って読んでしまった。
邪雷、という設定もなかなか道具立てとして上手くできている。電気に潜む魔、これは怖いよね、実際。超常現象を例証に使った強引な理屈付けも、視点を疑り深い人間に置いたことでそれなりに違和感無く読める。
ポイントは女性の描写か。主役の美帆以外の女性二人をグロテスクな敵方に支配される存在として配置して、美帆の清浄さを強調するあたり、確信犯的。宿命に耐える美少女として描きつつ、ちょっと小悪魔的部分も加味するあたりも、なかなか凶悪で良い。あとがきの作者の自信も頷けるなあ。
後は続巻が出ることを祈るばかり。ところで、歴史群像新書ってなんだ?(1997.5.17)
デイヴィッド・ファインタック著
野田昌宏訳
早川書房 96.12.31
銀河の荒鷲シーフォート
ハヤカワ文庫SF
(メモ)
軽めの表紙と違って中身は結構ヘビーな展開。一歩間違えばコメディになるシチュエーションをひたすらシリアスに描き出しているのが力業。お見事。
厚さの割にちゃっちゃと読めるのは、変な情景の描写や、社会制度の描写が少ないからかな? 設定的な面白みは宗教の扱いくらい(19世紀的なものと20世紀的なものと未来的なもののアンバランスな混交、という意味ではアメリカ合衆国そのものの戯画としての面白さはあるけど)で、あとはひたすら絶望的な状況に次々と追い込まれる主人公たちの苦悩と決断で引っ張っていく。こういうとこ、コアなSFファンの評価は低いかも。
とにかく、一番驚異的なのは、これが17歳から20歳くらいの青年の物語として語られていること。これで向うの人は違和感を憶えないんだろうなあ。『星界の紋章』と比較すると歴然だが、青少年の社会的位置とか責任に関する日米の差異の大きさにびっくりすること請け合い。これぞセンス・オブ・ワンダー(?)。厳格な身分制度や星間航行の独占など、『星界の紋章』と設定的に共通する部分が大きいだけに、違いも明確に見える。誰かこれを使って日米文化比較とかやらんかな。(まあ、ちょっと露骨に見えすぎて逆にやりにくいかも。)
あとは、続巻を待つばかり。引きも上手い。(1997.5.24)
栗本薫
早川書房 97.5.31
ハヤカワ文庫JA 575
(メモ)
まだまだ続く行け行けイシュト篇。
相変わらず、興が乗ってくると登場人物が幼児化していくなあ。だんだんひどくなってないか? まあ今回は独白部分が比較的短かったので読むのは楽。この先の展開をちょいと露骨にほのめかしすぎでは? 別にそこまで書かんでも最初から読んでる奴は分かるって。
あとがきにイラストレーター交代の話あり。まあ、ぼちぼちいい頃合いかもね。(1997.5.26)
谷甲州著
中央公論社 97.4.25
覇者の戦塵1942
C・NOVELS
(メモ)
さーて、いよいよ1942までやってきました! と、いってもそう簡単に日米開戦しちゃあ、話は終わっちゃうよな。相変わらず渋い展開で、絶妙の歴史改変をかましてくれるのが嬉しい。今度は、レーダー使った航空戦と潜水艦が逃げ回る話だ……って何にも説明してないなこりゃ。ただ、今回はレーダーを取り上げただけあって、組織面での改変だけではなく、技術面での微妙な改変が全面に出てきている感じがある。
しかし、あのキャラクターは本当に大暴れだなあ……。(1997.5.26)
谷甲州著
中央公論社 97.5.25
覇者の戦塵1942
C・NOVELS
(メモ)
と、いうわけで続けて下巻も読む。
いやー、完全に話があのキャラに食われてますがな。組織面での改変部分が目立たない……。いや、『軌道傭兵』シリーズ好きだったからいいんだけど。なんか、嬉しいようなちょっと悲しいような……。
むしろ、ちらちらと描かれる国内・国際情勢の部分に改変のセンスを感じる。そう簡単には日本の方向性は変わらない、という姿勢が頭良くてよい(というかまあ、本来当たり前の感覚のはずなんだけど)。
次は日米開戦回避なるか否か、という微妙な話になるのかな。そう思わせておいて、はずしてきそうな気もするけど。そのあたりのポイントの狙い方も楽しみの一つ。
それにしてもあの謎の坊さんはどこ行ったんだっけ?(1997.5.26)
早川書房 97.7.1
(メモ)
特集はアーシュラ・K・ル・グィン。おまけに牧野修の中編「月世界小説」が掲載されているので、やたらと文学色が濃いなあ、という感じ。ル・グィンは別につまらないわけではないし、刺激的ではあるのだけれど、文学的技巧をバリバリにかまして来るので、大衆娯楽小説に頭が慣れた状態で読むと結構つらい……。普段の倍は読むのに時間かかったんじゃないかなあ。
その中では「愛がケメルを迎えしとき」が、開けっぴろげにゲセンの性生活(?)を描いていて、何か不思議な感じ。みんな年取ると、こういうの書きたくなるのかな(あ、こういうこと書くと怒られそう……)。
といいつつ、東欧民主化を象徴的に描いた「空気の錠をあけて」が、一押しなのであった。何も露骨に書いてないんだけど、歴史のターニング・ポイントの(美しい)情景が、見事に浮かんでくる。やっぱ、うまいわ。
一方、牧野修「月世界小説」は、ちょっとル・グィン相手では旗色悪い。物語ることによって世界が変容していく話なら、神林長平の方が遥かに面白く書けてしまうよなあ。
ロバート・J・ソウヤー「爬虫類のごとく……」は、「連続殺人を犯した死刑囚の望みは、ティラノサウルスに精神転移することだった。」という話。ほとんどショート・ショートネタだけど、結構、読まされてしまった。こりゃ、『ターミナル・エクスペリメント』読まんといかんか……。ううむ、早川書房の手に乗せられてしまっている……。
あとは、SFクズ&冬の時代論争が相変わらず盛り上がってて楽しい。特にてれぽーと欄に柴野拓美登場にはびっくり。
緊急フォーラム第3段では、大原まり子「SFの呪縛から解き放たれて」でのSFの根底にキリスト教文化が存在するという指摘は重要。できれば、もう一歩踏み込んで、アメリカ文化との関連を論じてほしかったところ。そこから、資本主義・近代科学・SF・女性性、という問題へと話はつながっていくのだと思うのだけれど。それにしても、新聞がワイドショーだなどと当然のことを、今さらあらためて書かねばならないとは、ちょっと悲しい。(1997.5.31)
グレッグ・ベア著
酒井昭伸訳
早川書房 1997.1.31
ハヤカワ文庫SF
(メモ)
いや、何とも感想の書きにくい本だなあ。
面白いことは間違いないけど、小難しいことも間違いない。いやはやSFは難しい……。
最初は結構かったるいけど、上巻の終盤あたりからぐいぐい読ませる。サスペンスっぽい展開のふりして、神話的象徴をガンガンと繰り広げる技はお見事。でも、これでエンターテイメントだ、といわれるのはちょっときついよなあ。
ヴードゥー教的象徴を駆使した部分は、きっと読み込めばいろいろ出てくるんだろうけど、単純に親子関係の一つの象徴として読めむことも可能。人工知能の自我というテーマも含めて、実は親子・兄弟の問題を巡って語られている物語にも見える。
過去の傷によって自我が食いつぶされた男の物語と、現在の困難に立ち向かう自我を確立していく人々の物語が平行して描かれていて、希望と絶望がない交ぜになった、なんとも言えない読後感。このあたりが、現代アメリカって感じ(?)。あと、駄目男としっかり女、という対比が全編に散りばめられていて、なんとも身につまされる。
いろんな意味で現代的な物語ではあるけど、SFって文学なんだなあ、ということをしみじみ感じる今日このごろではある。やっぱり、SFって難しい?(1997.6.14)
グレッグ・ベア著
小野田和子訳
早川書房 1997.4.30
ハヤカワ文庫SF
(メモ)
いや、これは面白い。絶賛されるのも納得。
が、主人公の設定があざとすぎる気も。最初はちょいと鼻に付いた。終盤のクライマックスあたりになると、気にならなくなるんだけどね。
『女王天使』とこれとを同じシリーズとして発表したあたり、グレッグ・ベアという人は現在のSFの幅と限界とを熟知している気がしてしまう。『女王天使』はSFのとんがった部分を、『火星転移』はもっとも保守的な部分を共に象徴するかのような作りになっているのが凄い。『火星転移』が多くの賞を受けたことに、「狙い通りだ」と、内心ほくそ笑んでいるのでは、と想像してしまうのは私だけ? まあ、こういう手にはめられるのは快感なので全然オッケーなんだけど。
それにしても、SFって、USAのものなんだなあ、と、しみじみ。学園紛争やった上に、冗談でなく「火星の大統領」してしまって、なお人を感動させてしてしまう力業には呆然。
これでもう少し短かったら完璧なんだけど。(1997.6.26)