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タイトル50音順リスト
著者別リスト

その他いろいろ読書メモ(1997年4月〜6月)


ホルムヘッドの謎(1997.4.23)
WIRED '97年6月号(3巻6号)(1997.4.23)
京古本や往来 76号(1997.4.29)
グーテンベルクの銀河系(1997.5.5)
Mac Fan 1997年5月15日号(5巻9号)(1997.5.10)
MAC POWER 1997年6月号(8巻6号)(1997.5.18)
道楽科学者列伝(1997.5.27)
芸術新潮 1997年6月号(48巻6号)(1997.5.30)
コミック学のみかた。(1997.6.6)
出版産業の起源と発達(1997.6.6)
ユリイカ 1997年6月号(29巻7号)(1997.6.19)
MAC POWER 1997年7月号(8巻7号)(1997.6.28)

ホルムヘッドの謎

 林望
 文芸春秋社 95.5.10
 文春文庫
(メモ)
 連句風エッセイ集とはこりゃまた洒落た。イギリスに息づく徹底した合理主義に対する羨望と、書誌記述における合理性の追及との共鳴を読み込むのが、書誌学者林望に対する敬意というものか。
 さらにまた、文学に関する教養の深さと、イギリスという異国の奇妙さを愛する視点が、心地よい。ほんと、文章上手い人だなあ。爪の垢でも煎じて飲みたい。
 この本から、『書誌学の回廊』、『書薮巡歴』へと繋がっていくのだな、というのが分かった点が、個人的には最大の収穫。もっと書誌学絡みの本を出して欲しい、というのはわがままかなあ。(1997.4.23)

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WIRED '97年6月号(3巻6号)

 DDPデジタルパブリッシング 97.6.1
(メモ)
 表紙が素晴らしい。黒一色の中に、左右両側が欠けた虹色の林檎(雑誌のタイトルすら黒地に黒で印刷した徹底ぶりに拍手!)。分かる人にはどういう特集なのか一目瞭然。やはり、ビートルズの方のアップルのレーベルに印刷された林檎が、徐々に痩せ細っていったのを下敷きにしているのだろうか。上手い。ビートルズの復活とともにアップルの危機が進行していったという符号に気づいていたのは、当然ながら私だけではないってことなんだろう。ちょっと悔しい。
 特集の中身自体は、それほど目新しいことが書いてあるわけではない。よくまとまっているとは思うけど。Mac系の雑誌を読みあさっている人であれば、大部分は誰でも知っていることが書いてある。各Mac雑誌の編集長へのインタビューもこの短さではこんなもんか、という感じ。
 しかし、ジョブズの半生に関する記事は、New York Timesからの翻訳で、これはさすがに読みごたえがある。やはり、変なものを作る人は変な人なのだ。うん。
 と、いいつつ、実はこの号で一番面白いのはポケモン開発秘話の記事だったりするのであった。(1997.4.23)

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京古本や往来 76号

 京都古書研究会 97.4.20
(メモ)
 内容は次の通り。
 松田先生、相変わらず細かい。って書誌学やるなら当然なんだけど。『海国兵談』成立に関する新しい知見がまとまりつつある、という感じ。写本研究は奥が深いなあ。
 あとは、鎌倉氏(紫陽書院、てことは古書店主人かな?)の、漢籍絡みの記事がポイント高い。初心者にも配慮して、用語解説を交えながらというところが嬉しい。漢籍に関して「需要は極めて少なく市場においてすらその評価は低い」という現状を憂い、漢籍の魅力を少しでも伝えようとする意欲が伝わってくる。今後もこの手の記事が増えると嬉しい。(1997.4.29)

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グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成

 マーシャル・マクルーハン著
 森常治訳
 みすず書房 86.2.20
(メモ)
 ぜーぜー。やっと読み終わった。
 なるほど、最近のアニメファンが、作画よりも声優にこだわるのは、視覚中心文化から、聴覚・触覚中心文化への移行を示しているのか!……ってこんな単純な話なら読むのに苦労しないよな。
 ただ、作品を見るときの視点を第三者的視点に固定して論じる立場と、作品の中に没入して同化してしまう立場の対立、というのを、マクルーハン的視点から語るってのはやろうと思えばできそうだな。やってもあんまり得るものがなさそうだからやらないけど。誰かやらんかな。
 とにかく莫大な量の引用に圧倒される。こんなに引用していーんかいな。と思いつつ、ありゃ、これってエヴァンゲリオンじゃないっすか、と呆然とする私であった。モザイク的に膨大な象徴を散りばめ、そのモザイクの間の透き間に受け手が参加することで作品が完結する……って、本当にそのまんまだな。やはり聴覚・触覚的世界の復権は進行しているんだろーか。むむむ。
 活版印刷の産業化こそが近代西欧を作ったという指摘にはちょっとびっくりしたけど、こうやって論じられると結構納得してしまう。なるほど、表現されるものをのっける媒体であるだけではなく、その媒体のあり方そのものが世界を変容させていってしまうわけだ。日本では印刷の産業化が進展することにより、同じものを複数生産することに基盤を置く商品文化は早くから根を張ったけど、発展したのが活版印刷ではなかったために世界の等質化と個別化へと向かう動きは生じなかった、という読み方もできるのか……。この辺が、印刷出版が盛んになった近世(あるいは近代の初期)に至っても、写本と刊本が共存しつづけたことと絡みそう。
 こりゃ深い本だなあ。でももう一度読み返そうという気力は出ない……。
 それにしても、こういう固い本ってのは、電車の中で読むと眠くなるのに、布団に入って読むと目が冴えるのは何故だろう。(1997.5.5)

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Mac Fan 1997年5月15日号(5巻9号)

 毎日コミュニケーションズ 97.5.15
(メモ)
 なんてことはない、といえばなんてことはないんだけど、リレーエッセイ「林檎かわいや」に小田嶋隆が登場。「私のApple IIへの気持ちは、幕末の蘭方書生が南蛮渡りの書物を眺める時のような、一種露骨なる崇拝であった。」というタイトルというか惹句通りの内容が結構しみじみ。そうか、もうあれは昔のことなんだ、と年齢を感じてしまう。立野康一氏のコメントも秀逸。「当時のコンピュータ狂い〔得にApple IIのユーザー)は小田嶋文学の崇拝者でもあった」ってのが、そうか、やっぱりそうだったのか、って感じでよい。この2ページで、値段分の価値はある、と思う私であった。(1997.5.10)

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MAC POWER 1997年6月号(8巻6号)

 アスキー 97.6.1
(メモ)
 エッセイのかっこいいとこ抜き書き。
 中村伊知哉「わからん、それが問題だ」。今回のタイトルは「「トイ・ストーリー」は恐怖映画である」。毎回ながらかっこいい。郵政省にこんな人がいるとはなあ。
「映画、マンガは100年かけて表現の業を深めてきた。アニメはまだまだ血が薄い。そこに現れた「トイ・ストーリー」は、映画誕生101年目の奇跡だった。カメラからコンピューターへのシステム変更だ。しかも表現はハリウッド的な感性でみれば完璧。わざと残したCGっぽさの具合もほどよい。これは、産業のシステムや技術だけではなく、表現技法も、映像文法も、ストーリー展開も、アメリカが次世代の審判となるぞというソフトな宣言なのだ。恐怖映画である。」
 田中長徳「掌中の書斎」22回目「金沢旧婚旅行」。時の流れを確認する視点が鮮やか。
「だから未来は予測できないばかりか、便利というものでもない。便利という考えは実は滑稽と同じ語義である。」
 川崎和男「DESIGN TALK III」20回目「玩物済民」。商品と製品との対比の論じ方が明解で気持ちいい。「経済で救えない社会はデザインが救わなければいけない」という言い切りも。ところで、F社で製品化したものって、オアポケの後継機のこと? MP2000とか狙っている場合ではないかも……。
「未来は、もう、明るくはない。未来はカオスなのだ。未来は死に向かっている。
 でも、夢がある。夢を抱くことほど素晴らしいことはない。
 人間は欲深くて、不平等で、いやな奴が本当に多い。でも、夢のある人間は好きになれる。努力は決して報われない。でも、精進と修練を諦めない奴は素晴らしい。」
 座右の銘にしたい。(1997.5.18)

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道楽科学者列伝 近代西欧科学の原風景

 小山慶太
 中央公論社 97.4.25
 中公新書
(メモ)
 ディレッタントでありながら、大きな業績をあげた科学者の伝記紹介。
 取り上げられたのは、次の6名。
 ウォルター・ロスチャイルドのことは初めて知ったなあ。Natural History Musium(英国の)の所蔵品は、なんとも奥が深い。
 非常にとっつきやすい文体で、それぞれの事蹟・業績を簡略にまとめている。時代背景も理解しやすい(ということは相当単純化している、ということでもあるけど)。ディレッタンティズム礼賛(?)をちょっと強引に展開しすぎの気がしなくもないけど、まあ、新書だからいいか、という感じ。
 面白いのは、この本自体がディレッタント的な方法論で書かれていること。専門の研究者の業績をベースに、その内容をわかりやすく面白く紹介する、という方法が徹底されている。それが潔いといえば潔い。
 さらに一歩踏み込みたい人へのブックガイドがないのが(まあ本文中にかなり紹介されてはいるけど)最大の欠点か。あ、それから、タコ型火星人の初出が『宇宙戦争』ってのは?(1997.5.27)

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芸術新潮 1997年6月号(48巻6号)

 新潮社 97.6.1
(メモ)
 特集は「ウィリアム・モリスの装飾人生」。美術史家谷田博幸による解説(というか簡単な伝記)をメインに、作品・業績や住んだ家や土地を多くの図版で紹介する。京都国立近代美術館・東京国立近代美術館・愛知県美術館を渡り歩く「モダン・デザインの父 ウィリアム・モリス展」にあわせた企画だ。(ただし、谷田氏いわく、モリスが20世紀のモダン・デザインを見たら、「俺はこんなものの父なんかじゃない」と怒るだろうとのこと。まあ、そりゃそうかもしれん。)
 中世への回帰、職人仕事の復権を目指してインテリア会社で活躍し、古建築保護協会(Society for the Protection of Ancient Buildings)の初代名誉事務局長として中世建築の「修復」という名の破壊に対抗し、自らの理想を実現するためにはまず社会を変えねばと社会主義運動に身を投じ、そして現実の前に敗北する。いやはや、何という熱血! そして最後にその理想を実現しえたのは、ケルムスコット・プレスから生み出された一冊一冊の書物という世界の中であった、というのはあまりにできすぎた物語のよう。
 いやー、この特集でやっとモリスの仕事の中のケルムスコット・プレスの位置が少し分かった気になったなあ。まあ今までいかに勉強不足だったか、ってことだけど。
 それにしても友人達(エドワード・バーン=ジョーンズやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ)の描いたカリカチュアが何ともいえず、楽しい。一方でその友人(ロセッティ)に妻を寝とられるというドラマも(元祖ジョージ・ハリスン?)。まったく、こんな話が理想の書物の背後に隠れているとは、本当にできすぎた物語のよう。ケルムスコットの地の田園風景が目に染みる。(1997.5.30)

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コミック学のみかた。

 朝日新聞社 97.5.20
 AERA Mook
(メモ)
 何か、異様に感想が書きにくいなあ。
 結局、コミック学などというものは今のところ存在せず、様々な人文社会系学問の研究対象として、マンガが発見されつつある、ということはわかった。
 大塚英志のはイマーゴに前のったヤツの再録だし、藤本由香里も植村さとるを褒めるのはいいが、今や植村さとるだけの問題ではない、という視点が全然ない。夏目房之介のがいつものなのは当然だし、清水勲の近代マンガ略史も意味はある。けれど、どうも全体的に切れ味が悪い印象なのは何故だろう。とりあえず、海外の状況のレポートは興味深かったけれど。
 結局、いしかわじゅんが書くように「マンガを「学」にしようとする試みには、どうも危険なにおいがある」ということなのかもしれない。何か、書き手が楽しそうじゃないんだよなあ。
 あと、どうでもいいことだけど、唐沢俊一が「カウンター・カルチャー」の意味を完全に勘違いしているのがおかしい。サブカルチャーの反対語として使うのはいくらなんでも無理があるぞ(一瞬、自分が勘違いしているのかと思って、大辞林ひいて確かめてしまった)。編集者もチェックしろよ。天下の朝日新聞社でこれかいな、という感じではある。(1997.6.6)

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出版産業の起源と発達 フランクフルト・ブックフェアの歴史

 J.W.トムプソン著
 箕輪成男訳
 出版同人 74.9.30
(メモ)
 去年の9月に池袋の高野書店で発見した一冊。やっと読めたー。
 原題は"The Frankfort Book Fair : the Francofordiense emporium of Henri Estienne edited with historical introduction / by James W. Thompson"。1911年にシカゴのカクストン・クラブから発行された本だとのこと。16世紀に活躍した印刷家アンリ・エチエンヌによるフランクフルトの市(いち、英語のfairの訳なんだろうなあ)への賛辞と、その解説として書かれたドイツを中心にした出版産業史なんだけど、この訳書では、主従逆転して、歴史の部分をメインにしている。まあ、エチエンヌが主ではちょっと日本では苦しいわなあ。
 出版産業史の部分は、
  1. ドイツにおける出版のはじまり
  2. フランクフルト・ブックフェアの起源と性格
  3. フランクフルトの有名な印刷家たち
  4. せり合うフランクフルトとライプチッヒ
 という具合に章立てされており、これに訳者により、附章として戦後の状況を概説した「よみがえったフランクフルト書籍市と日本」が加えられている。
 一番興味深いのは、「せり合うフランクフルトとライプチッヒ」の部分で、15世紀から繁栄したフランクフルトが、イエズス会による厳しい検閲と、30年戦争、そしてfairの開催時期の変更など、様々な要素の影響により、17世紀半ばには衰退し、主役の座をライプチッヒに譲っていく過程が論じられている。特に検閲による出版産業の衰退、という部分は現代的な視点からも重要では。プロテスタントに寛容だったライプチッヒで出版が盛んになったとか、ラテン語から各国語へと出版界全体の中心が移っていったとか(フランクフルトの出版はラテン語が中心だった)、いろいろと示唆的な話が多い。
 附章では、戦後蘇ったフランクフルト書籍市について語られている。その中で、復活のきっかけの一つにドイツの東西分割があったことが示唆されているんだけど(ライプチッヒは東ドイツだったみたい)、そうなると、東西統合がなった現在の状況が気になるところ。どうなんだろう。ホームページとかあるのかな。(1997.6.1)

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ユリイカ 1997年6月号(29巻7号)

 青土社 1997.6.1
(メモ)
 特集は「古書の博物誌」。分量も多いが中身も濃い。いかに本に取りつかれた人間の多いことよ。嬉しくなってしまう。
 基本的に日本近代文学がらみの話が多いが(特に詩人関係)、戦前において、文学や美術などの担い手たちが、ごっちゃになってネットワークを作り上げていた、ということを知ることができたのは収穫。近代日本って本当に忘れられてるんだねぇ。日本にも文化があったのだなあ、としみじみしてしまった。それが大衆化し始めた途端に、戦時体制の中でむにゃむにゃになっちゃったんだろうか。ううむ。奥が深い。
 後は主な記事ごとに一つずつ。といっても、ほとんど主なんだけど。

・加藤郁乎「人に実あり」
 三村竹清ら、一次資料をきちんと抑えた隠れた実力派学者たちの礼賛。こりゃかっこいい。

・鹿島茂「日本は古書は高すぎる」
 日本の古書価の高さを分析。機関投資家の暗躍(?)を皮肉る。

・荒俣宏・紀田順一郎「徹底討議 古書はタイムマシンである」
 出版状況と古書業界の最近の変化を、一つの動きとして論じ合う。本を社会の共有財産にしようという視点が欠けているという指摘はまったく同感。古書店の機関重視の批判は耳が痛いが。また、明治期までの写本というメディアの重要性も指摘。これは当然だな。紀田の最後の発言。「日本の近代自体がそうだったわけですね。思想的な、或いは精神的なものを全部切り捨てて、能率だけで満足しちゃったという、その歪み。この情報化時代というのは新しい時代だとみんな思っているけれど、実はそうじゃなくて、そういう文化的歪みが一気に集約されたのが情報化時代であって、だからこそ出版の危機なんです。」

・横田順彌「なぜ、古書なのか? ぼくの極私的古書収集論」
 古書好きなところは、よく分かるし、古書収集の恐ろしさもよく分かるが、何だってこんなに言い訳が多いんだろう? 不思議。

・河内紀「本を読んだ人の跡を読む」
 古書店の棚の変化と、古書の書込みを読み込む楽しみ。

・阿部秀悦「書狼伝説」
 これどこまで本当なんだろう……。全部本当だったら怖い、怖すぎるぞ。詩集に憑かれた男の話。うーむ、借りた本は返そうね。

・鈴木英治「甦る古書 書籍の修復」
 現在の資料保存の基本原則を、それが守られなかった例をひきつつ、簡単に紹介。蘭書改装事件は別に珍しい事件でもなかったのか……。

・坪内祐三「植草甚一の日記を読むと当然、古本屋に出掛けることになる」
 植草甚一の日記に登場する古本屋を紹介。地元に住んでいるからこその技だなあ。原稿が遅れた言い訳も同時にやっているのが楽しい。

・内堀弘「彷書日録 北沢克衛のいた場所へ」
 詩集関連の本を扱う古書店主の試行錯誤。関連する資料を集めていくことで時代が見えてくる過程が興味深い。

・原克「古書目録のイコノロジー エンデ、カネッティ、シュミット」
 古書と新刊書の分離、古書目録の変化。ヨーロッパの書籍流通、古書目録、図書館の歴史と、それらを巡る文学的表象の変遷。著者の『書物の図像学』が読みたくなる。

・有馬浩一「神保町そして大塚書店の幻」
 「異端文学」の看板を掲げた神保町の古書店、大塚書店を巡る回想。かなわなかった夢と実現した一瞬の幻。

・樽見博「蔵書の幸、不幸」
 『日本古書通信』の編集を通じて巡り会った、コレクションの対照的な運命。東京経済大学の三橋文庫(明治思想史関連のコレクション)が、幸の方で取り上げられている。

・松沢呉一「変な知識を貪り集めた変な人 斎藤昌三の仕事」
 こういう人もいたのか……。書誌学者にして、風俗史研究家、その他もろもろ(なんか、如何にも埋もれやすそう)。戦前の書物研究史というのも、結構気になる分野だなあ。

・臼田捷治「装幀の愉悦 戦後デザイン史を振り返る」
 まったく未知の分野だったので、ひたすら勉強になる。と、同時に、現在の本のモノとしての面白味の無さもなんとなく見えてしまう。

・松下真也「《すつるもおし》の系譜 西垣文庫のことなど」
 貼込帖(スクラップブック)の話。著者は早稲田大学図書館の人。確かに、こういう資料はえらく面白いけど、図書館にとってはえらく困る資料ではあるんだよなあ。

・蝦名則「民芸運動と書物」
 先日(1997年6月12日)NHK教育テレビで「ウィリアム・モリスのユートピア」という、モリスが民芸運動に与えた影響についての番組があった。民芸運動とモリスの関係についても初耳だった上に、民芸運動と書物との関わりにもびっくり。いや、本当に私はものを知らない。そういうわけで、これは大変勉強になってしまった。日本のプライベートプレスについても、もうちょっと評価されるべきだよな。

・小宮山博史・布川充男「失われたタイプフェイスを求めて 対談・古書温故知新」
 近代日本の活版印刷史研究者であると同時に関連文献の収集家でもある二人の対談。資料がいかに保存されていないか、これまでの研究者がいかに一次資料をきちんと押さえていないかが、批判的に論じられる。やっぱり、近代ってのは色んな意味で盲点なのかも。

・小勝礼子「鳥のように飛び立つ 19世紀フランスの書物の版画」
 副題通り。銅版から、小口木版・鋼鉄版・石版へ。大量印刷の時代を迎えて活躍した画家たちの肖像。著者の関わった、町田国際版画美術館で1989年に行われた展示会「物語る絵」のカタログが欲しくなる。

・西野嘉章「美術書誌学序説」
 ヨーロッパにおける、15世紀から18世紀末までの美術関係書の変遷を辿ることで、何が見えてくるかを論じる。同時にこれまでの研究が、いかに書誌学的検討を怠ってきたかという批判も。

・和田博文「古書目録のコスモロジー 青山二郎、『リアン』、古川三樹松、紀伊国屋書店」
 ここ10年間に現れた、ユニークな書誌としての古書目録を紹介しつつ、古書目録の可能性を探る。
(1997.6.19)

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MAC POWER 1997年7月号(8巻7号)

 アスキー 1997.7.1
(メモ)
 エッセイのかっこいいとこ抜き書き。
 中村伊知哉「わからん、それが問題だ」。うーん、さりげなく(?)マニアックな固有名詞がじゃかじゃか。それにしても、ハッチポッチステーションを見ているとは良いお子さんだなあ。
「飢餓や疫病にさいなまれる子供、親のない子供、どんな子も、ウチの子も、それぞれの不幸や幸福を背負い、それぞれに楽しく、それぞれ苦しく生きる。ただ単に、そういうものだ。私は20世紀の日本でもがいている。わが子は21世紀の世界の中でもがくことだろう。」
 戸島國雄「それは世間によくある話」。ディープブルーの話。ドラマを作るのはやはり人間、ということ?
「ディープ・ブルーが見事な捨て駒の潔さをアルゴリズムに埋め込むことによって狡猾さを演出しようとも、それにまんまと乗せられて名人が負けようとも「歴史的な出来事を誇りに思いたい」と語るIBMの技術者の感情が最後に残るような気がする。」
 田中長徳「掌中の書斎」。キャパ展の話。神格化を排し、時代の流れを冷静に見つめる視点がかっこよい。
「一言で言えば、「報道写真」であったキャパの写真が優れた「芸術写真」としてしか見えないようになったのである。それが’80年代には「戦争と平和」なみのロマンチシズムの背景を伴って見えたのは意外な発見であったけど、’90年代も暮れようとする春に垣間みたキャパの写真は、詰めかけた大観衆の肩ごしの印象では、既にドキュメンタリーの燃え殻すら残されていなかった。…(中略)…世紀末の観客が、キャパをゴヤのデッサンであるかのような感じで鑑賞しているとしたら、それは一向に非難されることではない。むしろそれこそが新時代のキャパ像であるかもしれないからだ。」
 川崎和男「DESIGN TALK III」。諌早湾の干拓の話。公共事業をデザインしなければならない、とはまことにその通り、と思うだけなら誰でもできるのだよなあ。
「つまり簡単に言ってしまえば、「私たちは未来が目の前にあると錯覚している。目前には、現在と過去があるにすぎない。未来は、見えない。本来は、背中に未来を背負っている。見える人にしか見えない」というのが、Back to the Future」なのである。」
(1997.6.28)

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