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展覧会メモ(1997年10月〜12月)


冷泉家の至宝展(1997.10.4)
文学の挿絵と装幀展(1997.11.11)
版元の世界 江戸の出版仕掛人 part 2(1997.11.16)
ビアズリーと世紀末展(1997.12.11)


冷泉家の至宝展
  ――京の雅・和歌のこころ――

 東京都美術館
 1997年8月30日〜10月12日

(メモ)
 ああ、ぐったり……。
 なんてぇ人の多さだ。はっきり言って、こんだけ人が多いと「京の雅」どころではない。
 ま、このくらい人が入れば、それなりに収益もあがるだろうし、冷泉家住宅の修理や、財団法人冷泉家時雨亭文庫の運営も順調になるに違いない。それが救いといえば救いかな。少々高い入場料も、カンパと思えば気にならないし。
 あまりに人が多くてくらくらしたので、調度品類や、儀礼関係のところは、人の肩ごしにちらちらと眺めつつ通過。とにかく典籍関係のところを重点に見ることにした。
 いや、やっぱり凄い。
 重文・国宝がごろごろ……とまではいかないが、あるはあるは。鎌倉期の写本なんてほんとにごろごろある。信じられない。人の流れを止めてしまうわけにもいかないので、じっくりゆっくり見る、というわけにはいかなかったけど、こりゃ眼福眼福。
 平安期の写本も当たり前のようにあって、これまた呆然。江戸期以降のものはほんの一部しか展示されていなかったが、こうなるといったい全体像はどうなっているのか、ちょっと想像するだけで呆然としてしまう。
 装丁を見せるか、中身を見せるか、展示するがわも苦労しているのが分かるのだけれど、装丁だけしか見られないものがいくつかあって、ちょっとつらい部分もあり。
 当然、目玉は俊成・定家の自筆資料。壁面の展示ケースに並べられているのだが、そのケースにたどり着くかなり手前から列ができていて、じっくり見ようと思ったら、その列に並んでしばらく待たなければならないという凄い状況。しかも、後ろのおじさんは、「どんどん押してやりゃあいいんだ」とか言って押してくるし(そういうことは、危ないのでやめましょう……)、前の方のおばさんたちは、書道をやっている人たちなのか、しきりに字の味わい(なのかな?)に感心してなかなか進まないし、いや、疲れた疲れた。それでも、現物を見ることができた、というだけでも、嬉しいんだけどもね。
 しかし、他の展示はほんとーに、全然まともにみられなかったな。見てたら日が暮れてたろうけど……。
 図録は全編カラー図版満載で、美麗(制作は便利堂!)。解説も結構丁寧なので、お徳用。ただ、典籍については、資料の「もの」としての形態(綴じなど)については(もちろん文字による記述はあるけど)、図版からは読み取れない形式になっているのが少々残念といえば残念か。こんなにきっちりトリミングしなくてもいいのにねぇ。(1997.10.4)

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文学の挿絵と装幀展

 県立神奈川近代文学館
 1997年10月4日〜11月9日

(メモ)
 こりゃまた凄い。交通が不便、というほどでもないけど、駅から少々離れているからと、面倒くさがって行かなかったら損をするところだった。危ない危ない。
 明治期以降の文学作品の挿絵と装幀の代表的な作家と作品を時代を追って紹介する、という趣向。ともかく展示点数が多い。図録に掲載されている図版なんて氷山の一角、というと大げさかもしれないが、そうも書きたくなるくらい。
 それにしても、明治期・大正期の装幀の美しいこと。古書価が高いのも当然、という気がしてくる。与謝野晶子&藤島武二、夏目漱石&橋口五葉のような、いくつかの作品でコンビを組んでいたりする場合も、一点だけといわず、ちゃんといくつかの作品を同時に見せてくれている。その他、図録では原画のみ収録されているものについても、新聞や雑誌掲載時も一緒に展示してある場合が多かった。偉い。やはり原画だけでは片手落ちだよね。最終的に流通したものを見なくちゃ。
 それと、つい先日読了したばかりの森銑三・柴田宵曲『書物』(岩波文庫)の中で取り上げられていた、高浜虚子編『さしゑ』が思いがけず目の前に現れたのは(考えてみれば当然のことではあるのだけれど)、嬉しい驚きだった。これは、『ホトトギス』に掲載された挿絵を集めて一冊としたもの。(森銑三も一言触れているが、柴田宵曲の方が大きくとりあげている。)
 正直、挿絵に関心を持っているとはいえ、自分がいかにものを知らないか思い知らされた感じがある。おそらく、この展示会の内容ですら、概説の概説に過ぎないのだろう。個々のテーマごとに上手くコーナーが作られていたが、そのうちのかなりの部分が、やろうと思えば単独の展示になりうるものに見受けられた。深い。
 あ、あと、確か石井鶴三だと思うのだが(違うかも)、自分の挿絵の原画を見せろという人が多いが、新聞に印刷されたものが原画なのであって、自分が手で描いたものは製作の一過程に過ぎないのだ、というようなことを書いたエッセイが展示されていて(これは図録に入っていない。残念)、そういう考え方は比較的最近ものだと思い込んでいたので、ちょっと驚いた(我ながら認識不足にもほどがあるなあ)。原画を展示して、これがマンガの展示会だ、と騒いでいる人たちは、もうちょっと考えてほしいと思ってしまう。
 個人的には、明治時代の作品に惹かれるものが多く、自分でも驚いた。あとは河野通勢の独特な画風も面白い。永井荷風&木村荘八『〔さんずい+墨〕東綺譚』も、できるものなら現物を手にとって読んでみたくなる雰囲気。
 願わくは、今度はタイポグラフィについても展示会をやってくれないかなあ、と思うのだけれど、地味すぎて無理かなあ。(1997.11.11)

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版元の世界 江戸の出版仕掛人 part 2

 たばこと塩の博物館
 1997年10月25日〜12月7日

(メモ)
 part 1は1992年に開催したとのこと。全然知らなかったなあ。
 今回は、文化文政期の江戸を中心に、江戸時代の出版者団体である書物問屋仲間と地本問屋仲間の両方に加入し、硬軟取り混ぜた出版活動を行っていた版元を取り上げて紹介する、という趣向。
 展示されていたのは基本的に軟の方の出版物が中心で、錦絵や草双子が主。なるほど、そういやあ、こういう商標見たことあったな、という感じで勉強になってしまった。蔦重くらいしか今まで印象なかったからなあ。
 面白かったのは「坂本氏の美艶仙女香」というコーナー。展示品を見ると、確かにあっちこっちの錦絵や本にちらちらと「仙女香」と書かれた袋やら看板やらが登場している。実は、検閲を担当する名主が、その立場を利用して自分のとこの商品の宣伝をやらせていたらしい、とのこと。いやー、逞しいというか図々しいというか……。
 あと、最後にとってつけたように「たばこ関係書の出版」というコーナーがあるのがおかしかった。やっぱり、たばこか塩に少しは関係させないと偉い人から文句がでるのかなあ。そんなにけちけちせんでもいいじゃん、と思うけどね。
 図録、というほどではないが、モノクロの解説パンフを無料で配付。入館料もやたらと安い。展示点数は特別展示室のみなので80点あまりと多くはないが、これで文句を言ったら罰があたるよな。(1997.11.16)

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ビアズリーと世紀末展

 伊勢丹美術館
 1997年11月6 日〜11月30日

(メモ)
 結構混んでたなあ。もちろん、ビアズリーが中心ではあるんだけど、同時に、チャールズ・リケッツ、ロレンス・ハウスマン、ハリー・クラーク、アラスター、シドニー・ハーバート・サイム、ウィリー・ポガニー、アーサー・ラッカムの作品も紹介している。19世紀末から20世紀初頭にかけてイギリスで活躍した挿絵画家たちのうち、「グロテスク」という傾向を共通に持っている人を取り上げた、という趣向らしい。
 それにしても、ビアズリーって、25歳で死んじゃったんだ……。作品自体も凄いが、何が凄いってその短い創作期間の間に、次々と新しい手法を導入していっているとこが凄い。10年に満たない期間でこれは超人的。最初のころ、ケルムスコット・プレスのパクリみたいなデザインと同時に、既に怪しい絵をバリバリ描いていた、というあたりもちょっと凄い。
 過激な作品(男性器がもろに描かれているものとか)は、展示はされてなかったけど、図録にはいくつか収録されている。このあたり、歌麿展より良心的(?)かも。
 個人的には、ビアズリー以外の画家の作品が、面白かった(いや、ビアズリーも面白かったけど)。今まで名前も知らない人が多かったし。
 こうした作家たちの多くが、挿絵や本文に付属する装飾だけではなく、雑誌の編集・デザインや、本の装丁に関わっていた、というのも興味深い。当時の、複製芸術の媒体としての本や雑誌の持つ重要性がよくわかる。ちゃんとそういった資料(稀覯本が少なくない)を集めてきて展示しているのが偉い。版のヴァリエーションまではあんまし揃えなかったみたいだけど、そういう展示会じゃないからしょうがないか。
 図録がまたビアズレー風の装丁でイカス。解説も充実しており、展示を見ただけではわからない部分多し。図版も美しい。
 どう考えても日本独自の企画でこれはできないと思うんだけど、どういう経緯で行われた展示会なのか、さっぱりわからないのが謎ではあるなあ。どうでもいいといえばどうでもいいことではあるけど。

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