読書日記のページ

2001年11月

2001年11月23日

 うーんすごい。明智抄『死神の惑星』(ホーム社(発売:集英社)EYES COMICS, 2001)がコミックスとして完結(全3巻)している。帯の「無冠の天才」というのがなんとも正しいといえば正しい。内容は説明不能。とりあえず、『サンプル・キティ』に涙した人は読まないわけにはいかないんだけど、そういう人はもう読んでいるはずだから、今度は説明不要か。それにしても、web連載で完結させたとは……いやはや、世の中の動きは早いなあ。雑誌の方は休刊になっちゃったみたいだけど、このコミックスは長く残ってほしいもんである。
 少女マンガとかジャンルの枠に関係なく、とにかく突出した個性であることは間違いない……というのを、敢えて裏切ってくるこの表紙がまたたまらないなあ。表紙に偽りありだよ。こりゃ。

 最近、ちゃんとマンガを読まなくなってしまって久しいのだけれど、大野安之『ゆめのかよいじ』(角川書店ニュータイプ100%コミックス, 2001)とか出てしまうとやっぱり買うよなあ。ああ、それなのに、それなのに。絵が違うーっ!! 80年代の絵じゃなーいっ!
 主要キャラクター全部、今の絵に描きかえてしまうなんて、いくらなんでもやりすぎでは。まあ、要するに別の作品、ってことになるんだろうけど。こういうことができちゃうのはデジタルの罪なとこだよなあ。オリジナル版と比較できるような出版形態なら、それはそれでよかったような気もするが、かといって、ボックスセットみたいな形の高額商品として出たら、怒り狂っていたかもしれない。うーん、複雑。
 まあ、旧作の再発の一つの方法ではあるとは思うけど、ここまでやられてしまうと、素直に受け入れられない……のは、年をとった証拠か。とりあえず、『That’sイズミコ』を文庫にするとき(そんな時がくるのか?)は、こういうのはやめてほしい気がする。大野安之が80年代に描いたものは、そのままでちゃんと歴史的価値はあるのだから……っていうか、歴史的価値だけでは、現役の作家としては満足できないんだろうけど。

 もういっこマンガねた。
 いなだ詩穂,小野不由美原作『ゴーストハント』(講談社コミックスなかよし, 2001)は、単行本描きおろしで継続、ということだったので、本当に出るかどうか不安だったけど、ちゃんと6巻が出たなあ。描いた作者も、出した出版社もえらい。ある程度、コミックスだけで部数がいける、という計算があれば、雑誌連載では切らざるをえないマンガにも、続ける道があるってことか。まあ、小野不由美のネームバリューがあってこそなのかもしれないけど、とりあえず良かった良かった。

2001年11月14日

 ある意味で、図書館に直接関係ある職業以外の書き手が、図書館を取り上げる、ということは図書館にとって幸せなことなのかもしれない、と、小田光雄『図書館逍遥』(編書房, 2001)を読んで思ってしまった。
 図書館関係者の多くが、最初の図書館大会に関する事実誤認を読んだだけで、本書を放り出してしまうかもしれないけれど(最初の6編のみが『図書館の学校』に連載されたもので、残りは全部書き下ろしなのはそういう背景があるのか? とかつい勘繰ってしまう)、それはあまりに短絡的というものだろう。事実を知らせようというよりは、出版人として図書館大会に参加した際の感想を率直に述べたものなんだから。それはそれとして受け止めるべきだと思うけどなあ。
 それよりも、図書館を、文化的な再生産の場として捉え、海外の事例や、戦前・戦後の書き手たちが図書館とどのような関係を結んだかを書いている点に注目したい。市民のニーズに応える、というのとはまた異なる可能性を提示している気がする。
 基本的には、図書館に関するさまざまな人物や出来事や作品に関するエッセイ集。全部で50編の比較的短い文章で構成されている。同じ著者の、出版業界に関する話みたいに、突っ込んだ議論という意味では物足りないけれど、さまざまな角度から提示されたヒントを読み取ることができる、という意味で貴重な一冊、という気がする。

2001年11月11日

 うひゃー。すごい久しぶりの更新になってしまった。
 8月9月10月と大学院のレポートの締め切りでひーひーいったり、発表の準備に追いまくられたりとなんだか慌ただしくもあっという間に過ぎてしまったなあ、という感じ。その間、本を読む、というよりは、レポートや発表の材料として「読む」という行為を久々にやっていた。ここしばらく、ちゃんと書く材料を集める行為として読むことをしてきていなかったので、なかなかしんどい。でもまあ、アメリカの大学院とかだったら、こんなもんじゃすまないんだろうけど。
 というわけで、ぼちぼちと通常読書に一時復帰しているのだけれど(またすぐレポートやら発表やらがやってくる)、時節柄『現代思想 2001年10月臨時増刊 総特集・これは戦争か』(29巻13号)などを読んだりして、殺伐とした気分に。うーむ、救いがない。いや、実際救いがない状況だからしかたないのだけど。個人的には、M.マフマルバフ「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」には、自分が情けなくなって泣けた。空爆が始まって、文化遺産の保護を先に考えてしまった人は私と同類かも。それでも、文化遺産を守るべきだ、といえるだけの何かが、自分の中にあるのかどうか……。
 基本的に新聞やテレビの報道とは全く異なる角度からの分析が多くて、何はなくとも「別の視点がほしい」という場合にはよい特集かも。慌てて出したのか、誤字脱字や、レイアウトのミスとかが多いのが珠に疵だけど、まあそれはしょうがない気もするから許す。
 何にしても、今必要なのは、「こうするしかない」とか「これが正しい」と言い切る前に、一歩下がって、ここにいたるまでの経緯を把握することなんだろうなあ、という気がする。とはいっても、多分、それぞれがそれぞれの角度から解説することはできるのだけれど、誰も全体を把握して説明できない状況なので、あっちこっちから流れてくる情報をどう扱うかが、受け手の側に問われてしまうのだろうなあ。こういう状況に対応できる知的な強さ、というのは、どうやって手に入れたらよいものやら。いや、誰かがくれるものでもないんだろうけど。

 とりあえず、物事を一面的にだけでなく捉える方法の基本くらいは……という場合には、苅谷剛彦『知的複眼思考法』(講談社, 1996)が役に立つかもしれない。まあ、世の中、市場によってなんでも決まる、という雰囲気がこれだけ広がっちゃうと、そもそも流通する情報自体が売れるもの中心に偏りすぎて、なんともしようがないのかもしれないけど。少なくとも、その偏った情報を別の角度から考えることの重要性と有効性は、この本を読むとある程度見える。
 こういう時だからこそ、考えることをやめてはいけない、という気にさせてくれる。


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