読書日記のページ

2001年6月

2001年6月30日

 うーむ、このままでは月一更新になってしまう。
 というわけで、最近(といっても、一月近くたっているものもあったりするのだが)読んだ本について、少しずつでも書いておくことに。そうしないと、忘れてしまうしなあ。

 まずは、薬袋秀樹『図書館運動は何を残したか 図書館員の専門性』(勁草書房, 2001)。これは凄い。文章は読んでいてすらすら読める、という文体ではないし、時々うんざりしてくるくらい繰り返しが多かったりするし、とにかく読みにくくて硬いんだけど、書いてある事は、いわば『誰が「図書館」を殺したのか』だったりする。
 めちゃめちゃ面白いので、文体なんぞものともせずに、読むべし。特に、第3部の「司書職制度要求運動の現実」は図書館に関心のある人は必読。60年代後半の、東京都内の図書館長たちによる司書職制度確立の運動が、当時の図書館問題研究会の中心メンバーたちの活躍によって見事に破綻していく過程と、その歴史が隠蔽されていく過程が、関係者へのインタビューや、当時の資料をもとにして描き出されている。
 単純化していうと、日本の図書館を停滞させる原因となったのが、現実的な政策判断を妨げた過度な理想主義であり、その理想主義の担い手たちが、原因そのものを隠ぺいすることで、事態をさらに悪化させてしまった、という具合か。
 日本の図書館が何故、現在のような閉塞状況に陥っているのかを考えるときに、必ず参照すべき一冊。さて、図書館界がこの本をどのように評価するのか。

 続いて、岡本太郎『沖縄文化論 忘れられた日本』(中公文庫, 1996)は、しばらく前に、岡本太郎記念館に行ったときに、たまたま気になって買ってしまった一冊。
 沖縄を鏡として日本文化を逆照射してみせる、その鋭い筆致と、巷間に流布する岡本太郎像とのギャップには正直ちょっと驚いた。でも、縄文の再評価なんかも、この人がきっかけだった、という話を読むと、何のことはない、世間一番に流通している岡本太郎像というのが一面的なものに過ぎなかった、ということ……っていうか、私がものを知らないだけだよな。反省。
 確かに、日本文化論としても優れていると思うのだけれど、それよりも、ものを知らない読者としては、返還(ないし復帰)前の、沖縄の状況の凄まじさに息をのむ。たかだか40年前のことだというのに、なんと簡単に歴史は忘却されていくのだろう。

2001年6月2日

 うーむ、本当に全然更新できなかったなあ。
 あんまり状況は変わっていないのだけれど、さすがに一月書かないとなんか書きたくなってきてしまった。とはいっても、そんなに本は読んでないんだけど……。

 何を今ごろ、と言われそうだけど、橋本治『二十世紀』(毎日新聞社, 2001)を読んだ。
 毎日新聞社から出ていた『シリーズ二十世紀の記憶』の各年の巻頭言として書いたものをまとめたもの。もちろん、橋本治だから、その年その年の概要を紹介して終わり、などということはなくて、その年の状況をある事象を軸に切り取って、さらにその事象に関連する前後の出来事が持っている「意味」というか、「文脈」というか、なんかそういうもの(ああ、語彙が少ないぞ自分)を、明快に提示する、という離れ技を見せてくれる。
 書き方は明快なんだけど、書かれている事象は「なんでこんな変なことがおきるの?」「なんでこれがあんなことにつながるの?」という妙なことばかり。帯に「へんな百年だった」とあるけれど、まったく「へんな」時代だったのだなあ。例えば、なんでオーストリアの皇太子が殺されると世界大戦が起きちゃうの?とか、開発する資本なんてろくにないくせに、何で満州なの? とか、なんとなくぼんやりとあった「へんだなあ」という疑問が次々解き明かされてしまう。こりゃ凄い。
 ただし、参考文献とかそんなものは一切明示されていないし、注なんてもちろんない。だから、書いてあることがどれだけ妥当なのかは、自分の力で確かめていくしかない。
 もちろん、そんなことはせずに、この知性と表現の鋭さに圧倒されて終わっていればそれでいいのかもしれない。ただ、ここで書かれているのは、疑問を突き詰めていくことの面白さ、でもあったりするのだ。
 読む側も試されてしまう本かもしれない。

 相前後して、『世界』2001年6月号の「特集・歴史教科書問題とは何か」なんてのを読んだりしていたのだけれど、ぜひ、現代史の副読本に橋本治『二十世紀』を、という気分になってしまう。
 特集の中では、俵義文「「新しい歴史教科書を作る会」右派人脈」がルポ風で面白い。複雑に絡み合った組織の意図が重なり合い、反発しあいながら、一つの運動を繰り広げている、という感じの一本。そういえば、先日、国会周辺では、様々な右翼団体が合同で韓国・中国に対する講義行動を行っていたみたいだし、そういうネットワークはやっぱりあるんだろうなあ。
 なんでこういうことが繰り返されるのか、へんなの、と思った人は、『二十世紀』を読むといいかも。根が浅いといえば浅いけど、深いと言えば深い。

 5月28日の深夜(というか29日午前というか)に放送されたNONFIX「本のこと」が面白かった。出版不況の現状のルポなんだけど、まあ、トーハン、日販は取材受けないよなあ。その意味では、栗田は偉いというべきか。
 とにかく、ギリギリまで追い詰められている書店人たちがかっこいい。いや、かっこいい、などといっている場合ではないんだろうけど、絶望的な現実を見据えつつ、それでもまだ状況に立ち向かおうとしている姿を見ると、泣けてくる。それでも本屋は潰れていくのだし。
 図書館人は、これを見て何を思うのだろうか?

 ちょっと調べ物をしていたら、『朱夏』という雑誌に出会った。せらび書房という出版社から出ている雑誌で、第二次大戦期以前の日本の植民地を中心に扱っている。文学からのアプローチが中心にはなっているけれど、文化全般に目配りがきいているし、書評やブックガイドも充実。バックナンバーも結構残っているので、興味のある人は注文してみるといいかも。普通の書店にはほとんど並ばないだろうし。
 写真とか見ると、いかにもDTPな、ちょっと同人誌な作りだけれど、内容は濃い。こういう本を出しているってことは(あんまり売れないだろうし)、きっと経営的には苦しいのだと思うけれど、ぜひとも頑張ってほしい、と思ってしまう。


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