読書日記のページ

2001年4月

2001年4月14日

 なんだかんだいっている間に、大学院の授業もぼちぼち始まってしまった。夜だけとはいえ、学生に戻るってのは、なんとも楽しいもんですな。生協にも加入して、本も割引きで買えるし(もうちょっと開店時間が長いともっと嬉しいけど)。ソフトもアカデミックパックで買えるしなあ……って、そんなことより勉学に励まんといかんですな。
 というわけで、更新頻度は落ちることになりそう。ご容赦を。

 中川六平『「歩く学問」の達人』(晶文社, 2000)は、しばらくの間、積み上げたまま放ってあった一冊。読んでみたらあっさり読めて、でもけっこうじんわりくる感じ。山折哲雄、藤森照信、網野善彦、長井勝一、森まゆみ、目黒孝二、小沢昭一といった、私でも知っているような面々から、全然知らなかった民間学者(とでもいえばいいのか……)の人たちについて、インタビューを軸にして紹介している。『AERA』とかに掲載されたものが多いので、きっと本当は、写真と組み合わせて掲載されていたんじゃないだろうか。何となく、読んでいると、自分のこと、親しい人のことを語っている本人の顔を見たくなるんだけど、本書には写真はなし。ちょっと残念。
 著者は、きっとここで書いたことの数十倍は材料を集めているに違いない。文字にした部分はほんのわずかだろう。もっと出してくれればいいのに、という気もするけど、出したらきっと売れないんだろうなあ。
 難点をいえば、どこまでが著者の語りで、どこまでが話者の語りなのかが時々判然としなくなるところなんだけど、まあ、全体としては読みやすいからいいのか。

 あと、「中央公論」編集部編『論争・中流崩壊』(中央公論新社中公新書ラクレ, 2001)「中央公論」編集部・中井浩一編『論争・学力崩壊』(中央公論新社中公新書ラクレ, 2001)が結構面白かった。それぞれ、中流崩壊、学力崩壊という、喧々諤々の論争が繰り広げられている問題について、いわゆる総合誌や新聞に載せられた論説をまとめたアンソロジー。なるほど、この手があったか、という感じ。ライバル誌である『文芸春秋』の他、様々な新聞・雑誌に掲載された原稿が掲載されていて、それぞれの問題について展開されている色々な主張の概略をつかむことができる。あっちを探し、こっちを読み、としなくていいのでとても便利。一つの主張一色に染めるのではなく、できるだけバランスのとれた編集にしようとしているところもいい感じ。
 問題を提起して、継続して論争の場を提供し、そして、その後、ある程度のところでアンソロジーにまとめる、という流れを作ることができれば、これは結構、影響力がどんどん低下してきている(と思われる)総合誌にとって、生き残りの一つの道になりうるような気もする。ただ、議論を簡単に収縮させずに、発展的に展開していけるだけの力が論者側にあるかどうかも問われることになるんだろうけど。あ、一つの話題に関心を持ち続けていられるか、という意味では読者も問われちゃうのか。やっぱり、難しいかなあ。
 それから、関連文献リストがついていないのはもったいない感じ。つけると固いイメージになって売れない、とかいうのはわかるけど、そうやって、別の本へアクセスするルートを塞げば塞ぐほど、市場は狭くなっていくんじゃないのかなあ……いや、まあ、つなぐルートを提供するのが図書館とか、書店の役目だったりするのかもしれないけど。参考文献のない本は、どこにもリンクのはられていない、Webページみたいなもの、っていう感じがしてしまう。

2001年4月4日

 おお、ふと気が付いたら、アクセスカウンタが1,000を超えているではないか。実際に読んでいる人数は10分の1とかなんとからしいので、のべ100人くらいは読んでいる計算になる。少部数の同人誌って感じでなんとなくいい数字かも(自己満足)。
 などといっている間に、再販制は護持されたらしい。寄せられた意見は、出版界が動員したものだ、という話もあるし(たとえばbk1ジャーナルとかを参照)、結局、ずるずる悪くなっている状況下での現状維持、というのが、どれほどいいことなんだろうか。ひつじ書房房主の日誌の2001年3月31日の項とか読んでいると、考え込んでしまう(ちなみに他の日の日誌は賛成するにせよ、反対するにせよ、図書館問題を考えるときには必読だったりするかも)。
 詳しい資料は、公正取引委員会の報道発表資料・平成13年の3月27日のところにPDFファイルがあったりするので、興味のある方はどうぞ。所詮解説に過ぎない新聞記事を読むよりいいかも。情報公開法への対応(できるだけオープンにしておくことで、公開請求への対応に必要な労力を減らそう、ということだろう。合理的判断である)のおかげで、こういう資料がガンガンWebに出るようになったのはいいことだなあ。っていうか、こういう詳細な資料が手軽に読めるようになっている時に、字をでかくして情報量を減らす方向に突き進んでいる新聞って何なのかなあ、と思ってしまう。まあ、生の発表資料より、わかりやすくなっていればそれはそれで意味があるのかもしれないけど。

 で、終わってしまうと、読書日記じゃなくて、ただの日記になってしまうな。
 ちょっと前に読み終わっていたのだけど、小田光雄・河野高孝・田村和典『古本屋サバイバル 超激震鼎談・出版に未来はあるかIII』(編書房, 2001)は、ショックな本だった。要するに、自分が学生だったときとは、古本屋を巡る状況はすっかり変わってしまっている、ってことだ。
 特に、地方で市場が成り立たない、というのは衝撃。売られた本がまともに流通しないってことだし、値付けの正当性が失われていくってことだもんなあ。うーん。かといって、ブックオフとかじゃ、売れないと捨てられるだけだしなあ。こうして本は消えていくわけだ。
 地方都市の古本屋はどんどん減っているし、早稲田などの都内の古書店街も駄目になってきている模様。神田はまだ踏ん張っているみたいだけど。古本屋好きとしてはつらい時代になったもんである。やたらと古書店特集を乱発していたアミューズも一時休刊みたいだし(9月に復活する予定らしいけど、大丈夫かな?)。あ、でも東京人はまた古本の特集してたなあ。……と思ったけど、注目されて、その業界について語る本がたくさん出るようになったら、その業界は終わり、という話が確か本書の中に出てきてたような気も。
 図書館とはまた別の形で、出版物をフローではなくストックとして生かしてきた古書店業界が、こういう状況では、図書館に要求されるものも、変わってくるのが当然、って気がしてきたな。うーん。
 というわけで、著者の一人も立ち上げや運営に関わった日本の古本屋には頑張って欲しいと思う今日このごろ。


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