読書日記のページ

2000年12月

2000年12月30日

 多分、これが今年最後の更新。
 なんだか、思っていたより、カウンターの増加速度が速いのは、TINAMIXから リンクをはってもらったりしたからかなあ? どのファイルがアクセスされようが関係なくカウントしてそうだし。

 と、更新しようとしてふと気がついたんだけど、よく考えたら昨日と今日が某イベントだったために、ろくに本を読んでいない(いや、「本」はたくさん買ったんだけど)。
 えーと、その前に読んでいた本は……。あ、『別冊環1 IT革命 光か闇か』(藤原書店, 2000)を読んでたのか。しかも途中までで放り出してあるぞ。いかん。こんなことで21世紀を迎えられるのか、と思ったが年賀状も書いてないのにそんなのことを気にしてもしょうがないわな。
 この本、「別冊環」とあるとおり、人文系学術総合誌として創刊された『環』の初めての別冊である。実は、『環』は買ってないのだけど(どう考えても私ごときではあれは読みこなせない。どういう層が買っているんだろう)、この別冊はメインが対談と座談会だから読みやすいだろう、と思ったのだな。
 実際、論文に比べれば遥かに読みやすいんだと思うんだけど、妙に編集の甘さが気になってしまう。
 例えば、巻頭の榊原英資とロペール・ボワイエとの対談なんか、翻訳の文体がコロコロ変わって妙に読みにくい。一度気になりだすとレイアウトのミスも気になってきたりして……。
 続く座談会もそうだけど、全体として内容的にはあんまりピンと来ない感じ。ただ、座談会での黒崎政男の問題提起は、なんだか鋭いとこを突いている気がした。何かというと、現行の経済や民主主義の仕組みというのは、意思決定や情報の流れのタイムラグを前提として組み立てられているのではないか、という話だ。例えば、常に変動する民意を即座に反映する政治システムは本質的に不安定になってしまう、とかそういう話。ということは、リアルタイムで様々な情報が把握できてしまえばできてしまうほど、社会システム全体としては不安定になってしまうかもしれない、ということになる。では、どうシステムを組み立て直せばよいのか、というところまでは議論がいかないのがつらいところなんだけど。
 で、最後のイバン・イリイチの論文で躓いて放り出してあったのだな。
 最後まで読んでないのになんだけど、藤原書店は21世紀の岩波書店になろうとしているのだろうか、とか、そういうことをつらつらと考えてしまった。この本に登場している人たちは既に藤原書店の出版物と何らかの関係を持った、いってみれば「藤原文化人」とでも呼ばれるべき人たちだ。そういう人たちを何人か(自分の会社の会議室に)集めて、今世間で問題になっている事項について語らせて本を作ってしまう、というのは、意図的な戦略があるような気がしてしまう。でも、そういうやり方がこれからどれだけ有効なんだろうか。
 人文系学術出版社の一つの生き残り策として、ちょっと気になるなあ。

 では、みなさま、よいお年を。
 リンク集とか、色々直さないと……と、思いつつ年が暮れてしまうなあ。来年はもうちょっとなんとかしたいもんです。

2000年12月21日

 ついつい、映画版『機動戦士ガンダム』のDVDを買ってしまう。ちょっと見てみたけど、やっぱり燃えるなあ。音を入れ直しているので、当然、微妙なニュアンスとかが変わっていて、ちょっと違和感あるけど。まあ、考えてれば映画版はもともとテレビ版とも違うわけだし、各声優によるキャラクターの再解釈を楽しむと思えばいいか、という感じ。でも音がよすぎてバックの音楽にばっかり気が向いてしまうのは困りもの。
 何にしてもこれで映画に関してはLDの値打ちは安泰ってことか。あ、オリジナル音声版、とか後から出たらどうしよう……。

 小谷野敦『恋愛の超克』(角川書店, 2000)を読んだ。角川からエッセイ集(でいいのかな?)が出るなんて、すっかりメジャーになってしまって……という感じも無きにしも非ず。
 内容はあっちこっちの雑誌に書いた文章を、一部加筆訂正して集めたもの、という感じ。『もてない男』後日談、というか、『もてない男』で展開した「戦略」を解説したもの、という部分も結構ある。でも、自分が書いたものの戦略をわさわざ解説しなければならないとは、結構大変そうだなあ。
 恋愛論を中心に、フェミニズム論者も保守系論者も社会学系論者もめった斬りにしていくので、読んでいて結構快感。さらに登場人物(?)について、欄外に一言コメントがついていてこれがまた傑作。誰と結婚しているか、とか容姿について妙に細かく書いてあって、その人の展開している議論と対比させて読むとまた面白さも格別。栗本慎一郎の『鉄の処女』とか思い出してしまった。
 妙に政治的な発言も多く収録されていて、だんだんタレント学者的になってきたか、という気もしなくもないけど、論文集ではないはずなのに、注や参考文献がちゃんとしているところが、著者の姿勢を示しているような気がする。後ろに参考文献が出ているうちは、この人は大丈夫なんじゃなかろうか。勝手な思い込みかもしれないけど。

2000年12月20日

 なんだか空しい気もするけど、(今ごろ)アクセスカウンターを付けてみることにした。ちゃんと動くのかな。
 今日の更新はそれだけ。

2000年12月17日

 また更新が滞ってしまった。冬の某イベント向けの原稿など書いていたりしたのが原因といえなくもなかったりして。

 とりあえず思いつくままに。
 朝日新聞日曜版に連載されていた「名画日本史」が今日の小倉百人一首で最終回。ここ数年の日曜版企画の中ではヒットだったような気がする。
 個人的にはブックガイドが毎回掲載されていたところがお気に入り。特に、数多くの基本的研究書が入手困難となっていることを広く世に知らしめた功績は大きい。新たに参入する研究者が、その分野の基本文献を容易に見ることができない、という状況は、どう考えてもまともではない(人文分野で過去の研究成果をちゃんと踏まえる研究者がいなくなってきているのであれば話は別だけど)。何故、こういう悲惨な状況になっているのか、関心が少しでも高まるといいんだけど。

 山岸俊男『社会的ジレンマ――「環境破壊」から「いじめ」まで』(PHP新書, 2000)の面白さは、単純に「正しい」だけでは世の中は動かない、ということを心理学の成果を用いて説明して見せているところにある。
 自動車通勤をやめて公共交通機関をみんなで使えば公共交通機関が発達して渋滞もなくなる……ということは分かっていても、自分一人だけがバスや電車に乗り換えたところで、すし詰めになって苦しい思いをするだけになってしまう。その結果、いつまでたっても渋滞はなくならない、ということ……というのが典型例。他にも環境問題とかも同様(関係ないけど、COP6でのあの体たらくと反省のなさはなんなんだろう)の構造が指摘される。
 ではどうすればよいのか、という処方箋までは出てこないのだが、人の理屈じゃない部分にこそ、そうした「社会的ジレンマ」を解決するヒントが隠されているのではないか、というヒントが示されてはいる。要は怒りにまかせたやみくもな行動や、協力を申し出られたらついつい協力しようとしてしまったりすること、あるいは、ある程度の人数の味方がいなければ行動を起こそうとしないとか、そういう論理だけでは片づけられない部分にこそ、これまで人類が生き残るためにとってきた有効な戦略が隠されているのではないか、という話。
 この部分は、実際の行動の説明としてはよく分かるが、処方箋につながるかどうかはまだなんともいえないなあ、という感じがする。
 ただ、「いじめ」などの場面では、人は、ある一定の割合の賛同者がいないと積極的な関与をしない、という話は面白かった。つまり、他に二人の人が既に行動していたら行動する人、他に三人の人が既に行動していたら行動する人、というように、周りにいる味方の数によって自分の行動を決めることが多い、という話。他にある割合味方がいれば自分も賛同する人の「ある割合」の分布状況によっては、初期段階で特定の割合の賛同者が集まると、そのまま芋づる式に賛同者が増えて、一気に多数派を形成することになったり、逆に初期段階で賛同者が少ないと、いつまでたっても「正しい」側が多数派を形成できない、ということになったりする、ということが実験的に確認されているそうな。
 これはつまり、「正しい」側が多数派を占めていた集団でも、何らかの要因で賛同者が特定の割合を切ると、一気に多数派から少数派に転落してちょっとやそっとでは建て直せない、ということが起こる、ということでもある。なんだか、政治の世界とか、労働組合の組織率の問題とかにも応用できそう。
 ただ、応用範囲が広そうに見えてしまうところが、この本の危うさという気もする。ちょっと頭のいい人なら、拾い読みして、いくらでもおもしろおかしく文章にしたてあげられそうだから。大丈夫かな。

 クラフト・エヴィング商會『らくだこぶ書房 21世紀古書目録』(筑摩書房, 2000)がついに出た。いや、20世紀中に出てよかったよかった。来年になったら洒落にならない。
 21世紀から送られてきた古書目録。怪しみながらも書いてある通りに注文してみると、21世紀に出版された(される?)奇妙な本が次々送られてきて……という具合。不思議な本の写真と内容紹介が次々と繰り出されてきて、なんともいえない味わいがたまらない。「本」というものの持つ本質的な異質さを切り出して表現した感じ、というとちょっと気障か。
 何にしても、今のところ、クラフト・エヴィング商會の最高傑作といってしまうことにする。
 どうしてもメタフィクションであることを自ら語ってしまうところが歯がゆいのだけれど、それでも『クラウド・コレクター』(筑摩書房, 1998)とかに比べると、オチはずっとぐっとくる(よく考えるとあれ? というところもあるけど、まああんまり気にしないことにする)。
 「本」というものそのものが好きな人は、必ず買うように。
 あ、あと、まったく個人的なことだけど、奥付を見て思わずにんまり。ご機嫌な誕生日プレゼントである。


トップページに戻る