シンポジウム「学術的まんが研究の可能性と課題」レポート

作成日:2000年5月30日
最終更新日:2000年6月16日

1.はじめに

 2000年5月27日(土)と28日(日)の二日間に渡って開催された「学術的まんが研究の可能性と課題−−内と外との対話」と題するシンポジウムに参加(とはいってもほとんどただ聞いていただけなのだが)してきたので、記憶とメモを頼りに、その概要を簡単にレポートしてみたい。
 まずは、基本的な情報から。
 開催主体は、立命館大学国際言語文化研究所まんが研究会・京都精華大学マンガ学科の共催。会場は立命館大学国際平和ミュージアムと同じ建物に入っているアカデメイア立命21という施設のK209会議室だった。立命館大学のメイン・キャンパスのすぐそばで京都駅からはバスで30分強といったところ。
 時間は一日目が午後1時から6時半近くまで、二日目は午前10時から午後4時45分まで、途中休憩を挟みつつも、一日半、みっちりとまんがに関する議論を聞いていたことになる。
 参加者は大雑把に見て、百人から百数十人、といったところ。発表者として登場する方々以外にも、呉智英さん、村上知彦さん、米沢嘉博さん、竹宮恵子さんらの姿がある。不届きにも有名人をたくさん見て、妙に得をした気分になってしまった。

2.開会とシンポジウムの目的

 というわけで、早速中身に入ろう。
 最初に立命館大学のジャクリーヌ・ベルントさんから挨拶があり、このシンポジウムでは「先生」という敬称を使わず「さん」に統一する、というルールが提示された……が、みなさん結構それを実行するのには苦労していた様子(ちなみに、この文章も、そのルールに従ってすべて「さん」で統一した。自分でやってみるとこりゃ確かに難しい)。
 続いて、立命館大学国際言語文化研究所所長の西成彦さんからの挨拶があり、シンポジウムの趣旨について吉村和真さんから説明があった。趣旨については、事前に配布された(会場でも配布された)開催趣旨の文章に尽きているのだが、敢えてまとめるとするとこんな感じか。

 何かニュアンスが違う気もするのだが……(以下、同様に要約としての精度は割り引いて読むことをお勧めする)。

3.第1セクション「まんが史・まんが評論/研究史研究」

 さて、開催趣旨に続き、そのまま吉村さんの司会で最初のセクションが始まった。
 報告のトップバッターは言わずと知れた清水勲さん。「漫画は歴史とどう関わってきたか」と題して、自らのビゴー研究を一つの題材に、マンガ研究を美術史と歴史学の欠落部分を補うものとして位置づけ、その重要性、有効性を強調。また、資料収集の重要性(というか、面白さ、というべきか)についても言及していた。そのほか、テンプル大学で博士号を取得した二人の研究者の研究を紹介。
 続いては筑波大学大学院研究生の羅望菫子(らも・すみれこ)さんが「浦島太郎的漫画史研究者の見た漫画史研究の過去と現在−−疎外される漫画史、受容される漫画史」と題して報告。80年代に卒業論文を書いた時の経験をベースに、マンガ研究の役割を問う、といった趣旨。マンガ家を中心とした作り手側のマンガ研究に対する排除意識の告発と、その状況に対する絶望を表明するものだったが、非常に刺激的な発言であったこともあって、質疑応答では激論を呼ぶことになった。
 最後に、東京大学大学院の宮本大人さんが「マンガ批評の居場所−−昭和50年代を中心に−−」と題した発表を行った。昭和50年代のマンガ批評が同人誌や三流劇画詩など、メインストリームからはずれたメディアで展開されたことの意味を歴史的状況などを踏まえて論じるとともに、その後のマンガ評論の展開についてもふれている。詳細なレジュメが配布されたのでそれをそのままここに載っけたいくらい(どこで論文にするのかなあ)。最近出た吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』(せりか書房)収録の瓜生吉則さんの論文と合わせて読むと「マンガ研究」史研究の現状がよくわかるかも。
 そして、質疑応答に突入するのだが、羅望さんの問題提起に話題集中、という感じも(実際にはいろいろな論点が出てきていたのだけれど、印象が……)。作り手、特にマンガ家側の認識がここ数年で変わってきている、という話もあれば、精華大教授の牧野さんからは実際にマンガ家側の拒否反応がいか激烈であったか、という体験談があり、一方で、作り手側の反応など気にするべきではない、という議論も。
 その他提起された問題を思いつくままあげてみると……

4.第2セクション「「自国を代表するマンガ」−−日本と欧米の位相」

 15分の休憩の後、第2セクションへ。こちらは、ベルントさんの司会でまず小野耕世さんが「長編マンガのありかた−−日本と欧米の諸相」と題して報告。内容は、少年時代のアメリカと日本のマンガ両方への出会いの体験から始まって、70年代初頭の欧州の研究者との交流など、様々な体験談を披露……していたら本題に入る前に時間が来てしまった、という感じ。もっと聞きたかったなあ。
 続く川崎市市民ミュージアムの細萱敦さんは「東アジア各国漫画界発展事情比較」と題して、韓国(ソウル)、中国(北京)、香港の現地の研究者や作家と接触して得た情報を元に、各国の歴史と現状をレポート。各国それぞれお国柄が出ると同時に、それぞれ力のある作家、作品が生まれてきている状況が報告された。
 最後に京都精華大学マンガ学科助教授のマット・ソーンさんが、「マンガの翻訳版が売れないワケ」と題して報告。日本のマンガを翻訳した経験を元に、アメリカで日本のマンガが受け入れられない理由、そして逆に日本でアメリカのマンガが受け入れられない理由について論じた。特に、日本のマンガの独特の記号表現が、70年代の週刊誌ブーム時に大量にマンガを生産するために成立したものであり、その記号表現を単純に無条件に肯定して全てのマンガがこうあるべきだ、と考えてしまうのはある種の「帝国主義」ではないか、とする指摘は刺激的。
 報告者が、皆さん時間を超過してしまったため(面白かったから別に問題ないんだけど)、質疑応答時間も時間を超過。これまた思いつくまま、論点を並べてみる。

 この後、レセプションが行われたのだけれど、私は宿泊地が京都から離れたところだったこともあって、残念ながら出席せず。いったいどんな議論が展開されたのか……。

5.第3セクション「少女マンガは「日本」の「少女」が求めるジャンルか?」

 というわけで翌28日(日)は午前中から第3セクションがスタート。司会は前日の発表者だったマット・ソーンさん。
 最初の発表は藤本由香里さんが「少女マンガと「心の居場所」」と題して、少女マンガの出自のとしての固有性と、主題としての普遍性について議論を展開。意識と現実の差異を溶かし込んでいくような表現の特異性を指摘すると同時に、それが「少女マンガ」だけのものではない「女性」が「女性」のために作る作品に共通するものである可能性を指摘。また、アニメや青年マンガへと、少女マンガ的な主題が広がっている、という話もあった。
 続く立命館大学文学部客員研究員のオールヴィン・スピーズさんは「心を癒す少女マンガと女性の「病理化」」と題して発表。榛野なな恵『Papa told me』エピソード13「ワーキングガール」を題材に、女性性を否定すべきものとして描き、女性の「病理化」を行う少女マンガのあり方を批判した。また、『美少女戦士セーラームーン』については、女であること(「女性的」な肉体)を捨てずに、強さと仲間を得ている、という特徴を指摘しつつ、アメリカでの受容の状況の報告もあり。
 最後に、表象文化 まんが研究会の主宰で、森アートセンター準備室(六本木にオープンする予定の美術館の準備室)の高橋瑞木さんが「少女まんがの語られ方」と題して発表。男性の評論家によって語られてきた「少女まんが」が、女性により語られるようになってきた時に、方法論として、自らの体験・経験を軸にして語る、という形がとられたことに対して、限界を認めつつも、その有効性を積極的に評価する議論を展開。その他、何が「少女まんが」を「少女まんが」足らしめているのか、など、積極的に根源的な問題を提起していた。
 その後の質疑応答を含めて、提起された論点を例によって思い出すまま並べてみると、こんな感じに。

 このあたりになってくると、疲れてきたのかますますメモがいい加減になってきているので、どんどん要約に自身がなくなってきた……。

6.第4セクション「「マンガ表現論」をめぐって」

 お昼休みを挟んで始まった、第4セクションの司会は、再びベルントさん。
 まずは「表現論」の最大の推進者である夏目房之介さんが「マンガ表現論の限界と点検」と題して発表。それまでの既存のマンガ論の問題点を克服することから作り出されたという経緯を通して、表現論の必要性を語ると同時に、表現論だけでは語りきれない問題領域が広がっていることを指摘。今後のマンガ研究に必要な視点を提示した(批判するのは簡単な上に自分が偉くなったような気がするんだけど、それだけでは何の意味もない、「批判のための批判」ではなく「構築のための批判」でなければ、という話は個人的に、刺さるものが……)。
 続く国立近代美術館学芸員の蔵屋美香さんは、「動いている美術史−−まんが研究の「外」から」と題して、近代批判を通過した美術史の現状をレポート。美術研究においては、クリエイティビティや作品の自律性、作家の創作の純粋性が自明なものではなくなったことを指摘していた。また、「ポストモダン」を通過したことで、結果的に一種のサブカルチャー・コンプレックスのようなものが教授クラスの年代に広がって、サブカルチャー研究が無批判に肯定されてしまう状況が生まれている、という指摘が個人的には面白かった。
 この他、質疑応答含めて、提示された論点をかなり頼りなくなってきたメモをたよりにまとめてみると……。

7.第5セクション「「まんが」と「学」」

 というわけで、休憩を挟んで、最後の第5セクションに吉村さんの司会で突入。
 まず、カートゥーン作家であり京都精華大学マンガ学科教授・情報館長である牧野圭一さんによる「レコード目玉への蔑視」と題した発表でスタート。京都精華大学マンガ学科の現状と目標を語りつつ、マンガを研究することに対する社会的な関心の高まりを指摘。弟子と先生の関係を軸とした村社会であったマンガ界の状況を見てきたと自認する牧野さんが、このシンポジウムのような場が設けられること自体に対する率直な喜びを語っていたたのが印象的だった。ちなみに情報館はいわゆる図書館あるいは情報センターのこと。2万冊のコミックスは大学図書館としてはたしかに画期的。
 続いて漫画研究家であり日本アニメーション学会会員である秋田孝宏さんから、「学会運営と漫画研究の今後」と題して、日本アニメーション学会の設立の経緯や現状について、インタビューなどで得た知見を交えた発表があった。明文化はされていないものの97年末のポケモン事件を一つのきっかけにして誕生した日本アニメーション学会が、研究面での具体的な成果をなかなか生み出せず、運営体制も弱体のままという問題点の指摘もあって、学会結成が必ずしもプラスの側面だけではないことに注意を促していた。
 最後に、大阪産業大学経済学部助教授の水嶋一憲さんから「文化研究と<帝国>」と題して発表。カルチュラル・スタディーズの英米での展開を紹介しつつ、日本のサブカルチャー研究の問題点や、ナショナリズムや検閲といった社会的な問題に対して、マンガ研究者はどのように対することができるのか、といった問いかけがなされた。
 で、最後ということもあって、ここでも色々な議論がその他の論点が出てきたのだが、もうなんだかメモがますますいい加減になっている。それでも無理やり記憶を頼りにまとめてみると、こんな感じだったろうか。

 といったところで、時間どおり、16:45に閉会。いやはや、なんという密度の濃さ。特に結論が出た、というわけではないにせよ、これから語られるべき問題の多さ大きさはぼんやりと見えたような気がする二日間……というのはきれいにまとめすぎか。

更新記録

2000年5月31日
・第3セクションの発表者の一人、高橋さんが、所属先(メモし損ねて曖昧なことを書いてしまった)をメールでお知らせくださったので(ありがとうございました!)、そこを訂正。
・立命館大学国際言語文化研究所所長の西さんのフルネームを、研究所のWebページで確認して追加した(最初から確認しろ、という話もある)。
・ついでに何カ所か表現をちょっとだけ整えた。

2000年6月6日
・「セッション」と「セクション」が混在していたので「セクション」に統一した。

2000年6月16日
・「夏目房之介」さんの「介」の字を「助」と間違えていたので訂正(うう、なんと情けない間違い……もうしわけありませんでした)。soedaさん、御指摘ありがとうございました。

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